キリスト教と文学

 増田⇒海外の文学作品を聖書の理解なしに読める?
 私の場合、どういう運命か、先の世の契りや深かりけむか、10代後半から20代前半に、それなりに聖書を読んだ。よく読んだ部類ではないかな。それ以降も読むか。共同訳は全然なじめないし、あれだったら、自分の聖書理解はかなり違ったか。
 そういえば、ひょんなことでコイネグリークまで勉強して、気になる部分は原典でたしかめもしたものだった。
 若いころは、当然、信仰とか生き方に関連していたが、だんだんその思いは抜けてきている。日本人にありがちな「キリスト教を卒業した」とかでは全然なくて、なんというか、長くなじんでそれが自分になっている以上どうしようもない。
 で。
 聖書というのは、ある若い時期、人生への刻印として読むという経験がないと、わからないものではないかなとは思う。わかれともまるで思わないが。ある程度、わかるという感じがつかめると、ああ、そういうことかというのはいろいろある。
 いわゆる西洋のキリスト教というのは、実際には聖書じゃなくて、ヨセフスから来ている。なので、西洋文学でキリスト教という関心の人は、そちらの方向からきちんと学ぶといいのではないか。西洋というのはそれなりに土俗的な世界なので、東洋的なキリスト教とうまくなじんでいない。というか、キリスト教は東洋的な宗教。
 そのあたりに気がついて、私はしだいに正教的なものにも惹かれたし、その遺物なども見て回った。初期教会の教父の考えもなんとなくわかった。が、それと正教がそのままつながるものでもなく、現存の正教はまたそれなりに異質なもののようには思う。
 どこかに本当のキリスト教があるわけでもないし、どこかに正しい聖書理解があるわけでもないのだう。
 私はそうした過程で、ユダヤ教にもそれなりに傾倒したかな。ブーバーがある程度わかったとき、ユダヤ教というのはわかった気がしたか。植田先生の導きみたいなものはあったか。
 ⇒極東ブログ: 植田重雄、逝く
 まいどだけど、ティリヒがいなければキリスト教の深みは思わなかっただろう。けっこう最近でもティリヒの説教は紐解く。そして、そのたびにぞっとするものはある。
 これも言うとなんだが、グルジェフは神秘家ではなく、アルメニア的なキリスト教のありかたではないかなとは思うようにもなった。
 賛美歌というのは存外によいものである。むかしひょっこりひょうたん島で、ダンディが孤独にオルガンでひいていたのが心に残る。

1.
いつくしみ深き 友なるイエス
罪とがうれいを とり去りたもう
心のなげきを つつまず述べて
などかは下さぬ おえる重荷を

 これって、ようするに、あなたの鬱を、Oh my friendのイエスが除いてくれるよということ。それって、普通にそういうことなんだというのはけっこうある。そういうシンプルなキリスト教のメッセージというのは、頭のいい人はわからんとです的。

2.
いつくしみ深き 友なるイエス
われらの弱きを 知りてあわれむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて なぐさめたまわん

 ライフハックとかで強くなる人が多いみたいだけど、私たちは弱いし、それをイエスは、だめだなぁおめ−、でもなぁーと慰めてくれる。Oh my friend!

3.
いつくしみ深き 友なるイエス
かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを すて去るときも
祈りにこたえて いたわりたまわん

 「世の友われらを すて去るときも」というのは、引き写していて今でも泣けるところだな。私の一番の友イエスを捨てて、世の友に付くべきか?
 聖書のイエスは、そうしろと言っている。この世にあっては、ごまかしでも不正でも賄賂でもいいから、友を作りなさいと。ルカ16。

またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。

 矛盾しているようにも感じられる。いろいろ神学的、聖書学的な議論はある。
 ただなんというのか、結局ここまでイエスとともに生きてしまった人生でいうなら、世にあって人は、義よりも愛を立てるべきだし、己の義は愛に折れるべきものだと思う。そして、そこまで折れても、世の友は私を捨て去るものだという真実を覆すことはできないなら、そう歩みなさいということだろう。YOU、殺されちゃいなよ、である。イエスもそうしてユダのみならず使徒たちにも裏切られて十字架にかせらた。負け、イエス涙目ってやつ。そして十字架でイエスは神にまでぼやくし、救いがなかったとわめき散らす。
 しかし、そのすべての構図のなかに、神というものがいるんじゃないかというのが、長くその思いを秘めて生きていくと、ぞっと伝わってくる。長く生きなくてもわかる人はわかるのだろうし、わからない人はわからないというのもあるだろう。神なんて存在しないとわめく人も悟る人もいる。ご勝手に。