なんというかこれの自分バージョンは書かないかな

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 で、なんというかこれの自分バージョンは書かないかな、と思った。
 私は自分語りばっかりみたいに思われているけど、こういうふうな自分語りはしないな。
 というのと、私も「大人になれなかった」と思っているけど、だいぶ相が違うな。

 そう。たぶん「大人」になることは簡単だ。「そうあるべき」という囁きに無自覚になりさえすればいい。たとえば、鮮烈な十代を過ごした人も、そうしていつしか「あのころはよかった」と思うようになる。

 とても簡単とは思えない。
 若いころが良かったとも思えない。
 もちろん、相応に痛い目をして、自分の愚かさを認めて、その分、大人になった面はあるし、昔子どものころ思っていた大人の内面もそう大人というものでもないだろうとは思ったが。
 が、というのは、うまくいえない。
 自分の心がいつまでも若いとか思わないし、そう認めてくれともまるで思わない。相貌の老けについてはいやだなと思うけど、それが自然というものだ。
 よくわからないのは、自分の意識が依然、14歳くらいのままだということ。そんなわけない、いろいろな経験もしているのにと思うが、ふっと、ホームポジションのように中2な自分がいる。まあ、もうどうしようもないのであきらめた。
 多分、私の脳はボケるというか、死期に近づくにつれ発狂するのだろうと思う。すでにそうだよとのぶこめとかもいただくけどその手はあまり信頼できるスジじゃないしね。
 心のなかで40年の時間はふっつふっつとタイムスリップする。そして、たまに、死の向こう側にいる。死の向こう側にいるとき、へぇ、自分って生きていたんだと思う、その思う姿は、少年のままなのはなぜなのだろう。
 まあ、年も取る分はある。
 今日の「つばさ」で、母親がつばさを抱きしめて「よかった」というシーンがあり、まあ、あれは50歳くらいにならんとわからんでしょとか、思っている自分もいるにはいる。