しょもないネタではあったけど

 ネタ⇒常に意識してむなしい『ほかの人に好かれるための9か条』 - finalventの日記
 まあ、あれなんですよね、好かれる努力をして努力の結果好かれるようになったとき、それをポジティブに感じられる人はいいけど、たぶん普通に、なんておれはブ男・ブスなんだろ、なんで自分なダメなんだろと、そう運命を受け止められるくらいの普通の内省力のある人なら、好かれる努力の結果を、ああ、俺ウソついているな、私そのウソがばれたら嫌われるんだろうな、と心のどこかで思う。
 身だしなみとか声とか、そういう変えられる部分が変わって、人から好意をもたれるようになるのは、まず最初に、そうではない自分というのを受容してくれる他者との関係があって、いわゆる好かれる特質というのはその関係の変化に付随するものだと思う。
 たぶん、だから。
 嫌われるようにひねくれることはないけど、今の正直な自分の気持ちのままを広げられる関係性のなかで自分をその関係性に貢献するようにしていけば、好いてくれる人はわずかかもしれないけど、まあ、そういうふうに変化すると思いますよ。
 むりして好かれる努力をするより、孤独のありかたを見つめたほうがいいのでは。というのは、孤独から逃げたくて、偽の好かれる関係を求めたり、別の誰かを攻撃することでグループ化して孤独を癒すような卑しい人間になるほうが、まずいんでないの。
 ということで、好かれる努力というのは、やってみたい人はやればいいし、それだけの効果もあるかもしれないけど、人によってムダな回り道かもしれない。