キバ見ていて

 紅音也はあれで私より2歳くらい若い設定かな。でも、まあ、あの時代25歳くらいで子持ちっていうのはそう珍しいものでもなかった。学生時代を終えて就職して結婚してぽこっ、みたいな。ただ、ふと思うと男女の年の差は2つくらいあったから、意外と学生時代の恋愛を清算した女性が結婚ということだったかな。まあ、なんだかんだ。
 ほいで、名実ともに、渡くらいの青年の、お父っあんという年齢に自分がなったわけだが、このあたりの自覚は、なかなか言い難い。というか、うだうだ書いてきたが。
 ほいでも、はてなとかで、渡くらいの青年の意見とか悩みとか読んでいると、ああ、あのころの赤ちゃんが人間になって、物を書いているんだなとか思う。そして、当然だけど、自分が見てきた時代の風景を見てはいないのだろうな、とも。
 自分は戦後の子、というか、もはや戦後ではない第一世代で、青年期くらいまでは自分は戦争には無縁な世代だなと思ったが、逆張りした団塊世代より、ある意味で戦中派に近い心情を持つようになった。
 吉本のNHKの講演だが、まあ、あれはああいうもので(実際にはちょっと内容的に衝撃を受けた部分はあるので書くかも)、編集の仕方では、どうにでもなったかとも思うが、いずれにせよ、老いの姿というものは、見た人には貴重なものに、いずれなるよ、とも思った。人は老いていく。吉本がばりばりの時代を知る人なら、その老いの意味をきちんとわかるのだが、そうでない人でもいずれ自分が老いの門をくぐれば、え、これがオレなのか、オレはどう消滅するんだと思うようになるのではないかな。
 そういえば⇒極東ブログ: [書評]鷹は昼狩りをしない(スコット・オデール)
 「金原瑞人」の含意に気が付いた人はいただろうか。まあ、いなくてもいいけど。別段仄めかしている意図はないのだし(はてダだと自動でキーワードになっているのか)。