快晴

 富士山は少し霞んでいる。夢はサッカー観戦とその他という感じだった。失念しまいと思ったが忘れた。
 昨晩はそういえば吉本隆明の講演まだやっているかなと思ったのが後半で、それから前半を少し見、今朝方残りの中間を見た。一時間半予定が三時間になったのだろうか。そして終盤の吉本は、恍惚としていた。最後にぼそっと、言語というものに格闘してこれが私の人生だったんですよ、という感じだった。意識がすでに死に包含されているようすは、率直にいえば醜悪でもあり、これがなるほど人の意識の最後の姿なのかと思った。
 出だしは83才にはしてはしゃんとしているなと思ったし、おそらく30分程度の話なら、吉本はまだまだ世界を思惟しうるのだろうと思った。ただ、あの講演はそういうものではなかったのだろう。多くの人に理解されたいという部分は、これも率直に言えば失敗したし、たぶん糸井の意図だろうと思うが、足元もおぼつかない吉本がおそらく寝所に下がるとき代わりに出てくる猫が愛らしく、そこにはなんというのか、古今物語の風景のようにも思えた。
 人は皆死ぬ。私も死ぬ。恐ろしいのは、今の私という意識が、ある決定的な死に至る時間のなかで自覚的な変性と遂げることだ。おそらくは入眠と同じなのだろうが、眠りの脳というのはある意味で覚醒であるのに対して、死に至る脳というのはそれとはおそらく異なることであり、その世界を私は誰にも告げることはない。