これね
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narima001 増田, 批評 ばななのパパ涙目。 2009/01/03
ある意味ではそうなんだけど。つまり、「吉本さんはヘーゲルをドイツ語できちんと読んでいるのか?」なのだけどね。ただ、吉本のマルクス関連をフランス語にきちんと訳せたらそれはそれで違ったものになったかもしれない。
橋爪大三郎がレビ=ストロースを個人訳して吉本に送りそれから橋爪は構造主義と吉本を追っているし、それからその関連だったか、共同幻想論には仏訳があるのだが、読まれていない。吉本があの時代のフランス思想をどう受け止めたかは「情況」の側を見るほうがよいのだけど、それなりに普通のおフランス哲学解説者くらいには理解している。
まあ、吉本の頭の悪さを弁護するわけではないんだけど、なにかもどかしい問題というのがあって、橋爪は気が付いているし、蓮実も気が付いていた。というか、あの頃蓮実はそれを買って出て、蓮実としての惨敗をしたのだろうと思う。たぶんこんな感じかと思う、吉本さんは、いざとなると八百屋のオッサンの横で釣り銭受け取りの仕事しても完璧にこなす、オレにはかわない、というような。(吉本はそういう層から革命を起こすことを考えていて、そしてその生涯をもって歴史に敗北した。)
そういえば
もとの。
口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、道はまだまだ遠いのだ。
これだけど。吉本はサルトルに対して、自分の思想は負けているしかなわないと言っていた。理由は、あいつらは西洋史というゲタを履いているからな、と。そこは西欧の文化というものに体当たりした日本人なら、うあ、かなわない、と思うと思う。かなうのは桜沢如一くらいなものかも(これは洒落です。)
ではどうかというと、吉本は、国際化というより、これを読むために世界の知が日本語から訳してでも読みたいという著作を書くことだねと言っている。まあ、そうかもしれない。たぶん、それに匹敵するのは、道元くらいかな。