年末読んでいた本

 今朝読了。いちおう以前にもざっと読んでいたが、仮説の要点を知りたいだけだったので腰を据えての読書ではなかった。
 今回も多少退屈な古典議論は速読したが、でも大半はじっくり読んだ。注もよく見返した。
 読んでいてなんどもくらくらした。聖書についても読み込んでいるなと思った。はっとさせらるところはあった。たぶん、聖書学者でも苦笑4回につき驚愕1回くらいはあるのではないか。

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神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡: ジュリアン ジェインズ, Julian Jaynes, 柴田 裕之
 概ね、トンデモ本と言っていいのだろうと思うが、そう言うにはなんとも苦い思いがする。シンプルな主張のようでいて、仮説が複数分野に渡っており方法論にロジカルエラーが多すぎるのだが、が、というのは、それでもこの仮説群の魅力には抗しがたいものがある。若い人は読まないほうがいいように思う。あるいは、単にトンデモ本じゃね、で、否定するだけのことになるなら、読む意味もないのだし。
 ただ、この本を読んでいない欧米の知識人はたぶんないと言ってもいいのよいのではないかな、直接的な評価は別として。その意味では必読書でもあるのだろう、こっそりとした。
 それなりに⇒二分心 - Wikipedia
 英語だとかまびすしい⇒Bicameralism (psychology) - Wikipedia, the free encyclopedia
 スペリーの研究が話題だった時代のものでその後の脳科学的な知見からは、べたに否定される部分も多いのではないかとも思うが、それにしても、ディテールの含みは大きい。
 読みながら、この知の巨人というか、教養の巨人ジェインズという人を思った。ある総合的な教養が、彼が否定しているような創発を生むのではないかと思う。
 ジェインズは左右脳にフォーカスしているが、これは私が昔考えていた知覚の発生説的な部分で補えるものもあるだろう。
 読み返しながら、途中や後半に語られるエキサイティングな仮説より、前半や付録の反駁的な思索のほうが興味深かった。哲学が実際には何も語ってないんじゃないかという痛烈な思いがあった。
 ジェインズの関心にはある悲しみのようなものもある。そこには多分に生の意味への問いが巧妙に隠蔽されている。
 
追記
 そういえば、というか、この本は、極めて吉本隆明共同幻想論に近いところがある。ただ、共同幻想論はきわめて読みづらい。
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共同幻想論 (角川文庫ソフィア): 吉本 隆明
 ジェインズには「性」の要素がないが、性の意識が、個人幻想から共同幻想(国家幻想)に至る部分とのパスに関連している。(たぶん、性の問題はバタイユのいうように死の乗り越えの意識があるのだろうと思うが。)
 ジェインズの場合、二分心は、当初国家に至らない小さな集団の個々人を統制するものとして描かれ、これが国家幻想に至る過程に、言語を介在させている。そして、国家幻想は、二分心が退化したものと見ている。
 吉本の場合は、対幻想が対性として他者を国家幻想に疎外したとき、まさに国家幻想を見ている。
 ジェインズと吉本のどちらが正しいかとはいえないし、折衷に解答があるわけではない。このあたり、ジェインズも吉本も発生論的な思考に捕らわれていて方法論的な間違いがありそうにも思う。
 直感的には、たぶん、フロイトに鍵がありそうな気がする。というか、このあたりの領域の思考はけっこうしんどい。