今日の一冊 「おくのほそ道」松尾芭蕉

 ⇒森村誠一さんの私の1冊「おくのほそ道」松尾芭蕉 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き (角川ソフィア文庫): 潁原 退蔵, 尾形 仂
 現代人としてはいちおう曽良随行日記と併せて読んだほうがいいかもしれない。
 あるいはこっちが読みやすいか。
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おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス): 角川書店
 おくのほそ道は、普通に読んで、普通に感動できる古典だと思う。実際に芭蕉の旅を追うとさらに深まるものがある。李登輝がその旅を願っていたのもよくわかる。
 番組は森村誠一にも随分焦点を当てていた。知らなかったが、こういうことらしい。
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写真俳句のすすめ (朝日文庫): 森村 誠一
 森村誠一というと、私の世代では、「悪魔の飽食」で共産党かとつい思う。
 ⇒「 悪魔の飽食 新版―日本細菌戦部隊の恐怖の実像! (角川文庫 も 3-11): 森村 誠一: 本」
 で、共産党じゃなくて社会党系なのだが、向坂逸郎の座右が意外と「おくのほそ道」であった。昔は、なんで?と思ったけど、まあ、今の自分の年になるとわからないでもない。
 芭蕉についてだが、現代人はなんかワビサビみたいに思うが、芭蕉というのはあれ、芭蕉布芭蕉であり、バナナの木みたいなものだ(このあたりの話は省略)。
 ⇒松尾芭蕉 - Wikipedia

門人の李下から芭蕉を贈られ、芭蕉の木を一株植えたのが大いに茂ったので「芭蕉庵」と名付けた。

 庭にバナナの木があると思えばいい。それだけで、芭蕉が狂の人であったことはわかる。
 芭蕉は狂の人でもあり、宗匠でもあった。現代人は俳句を単独で詠むが、あれは発句であり、芭蕉も各地を旅しながら、連歌の会を開き、宗匠をしている。というか、芭蕉というのは宗匠とはなんであるかを日本に示したところに意義があるのだが、明治以降は忘れられつつある。というか、連歌を忘れたからでもある。
 このあたりは⇒安東次男 - Wikipedia

40代頃より、深い古典への造詣をふるって、松尾芭蕉連句評釈を始め、古俳諧百人一首・和歌・俳諧師などの随想・評論を盛んに記す。

 安東次男の評価は微妙な部分もあるが、ある意味で本質をよく突いていたというか、私は学んだ。

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完本 風狂始末―芭蕉連句評釈 (ちくま学芸文庫): 安東 次男