そこがね
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益川敏英も吉本隆明も英語は出来ない
肝心なのはどの言語で表現するかじゃなくて、何を表現するか
素晴らしい表現をすれば、翻訳は誰かしてくれる
吉本は化学屋さんだし、特許関係の翻訳やっていたので、ドイツ語の読みはできる。まあ、それほど大したことはないだろうけど。で、ヘーゲルやマルクスの読みというか概念は理科系的に読み取っているので、案外正確、というか、でも非主流的なところはある。
ギリシア・ラテンの素養はないので、そのあたりはスカスカしている。
吉本は英語の感覚はほぼゼロっぽい。英語圏の文章の書き方というのをまるで知らないので、たぶん、英語に翻訳できない。かなり英語的な文脈に編集しないと。
小林秀雄も、英語圏の書き方からすると支離滅裂。ただ、あれでフランス語的な部分はあってベルクソン論とかよむと、へぇ、小林って、普通に仏文科の大学の先生くらいできるんじゃん的な部分はある。
あと、翻訳っていうのは、けっこう根のところでひっかかる。societyとかnatureとかそういう語感が日本のそれとかなり違う。
そういえば。
regularという言葉の語感なんかも、ちょっと訳語からわかりづらい。標準とか正規とか、まあ、訳語はあるんだけど。これ、たぶん、「定値に」という語感だと思う。もっとも、「定値に」なんて日本語ねーよ、なんだけど。