なんか微妙な増田話

 ⇒私も22歳処女だけども
 私の世代だと案外そうかな。
 全共闘世代は処女を捨てるみたいのに、なんかイデオロギー的な変な空気があった。なにかと田舎娘さんが都会で裸になっていたし、あれはなんだったんだろうか。
 ポスト団塊になると、ある種、階級回帰みたいのはあったかな。なんだかんだ言っても、女性は「嫁」という権力のグリューになることになっていたし、というか、見方によるけど、ある程度の知性のある女性は、そういう男性を求めるしそれは階級的に限定されていた部分が強かった。
 自分から下の世代はよくわからない。今の40歳以下というか、わからないな。
 キバとか見ていてなつかしいのは、恋愛が物語だったというのはある。というか、恋愛が物語になるのは、80年代の特徴ではないかな。
 私ですら、その物語にうへー感はあった。
 あと、若い人がどういう性行動しているか、よくわからないのだけど、というか、階層的なクラスターがあるのかなとも思うけど、私の世代は、ABCDという言い方があった。Aはキス、Bはペティング、Cはおセックスだったかな、Dは妊娠(意味わかるよね)。
 で、ジュニア小説みたいのが当時もあって、だいたいAとBでぶれていた。東京ラブストーリーとかが、時代だなだったのは、Bが消えたところかな。
 同棲時代とか、全共闘世代的Cな世界だけど、物語的にはBの展開で、なんというのか、そういう性の行動の映像が、どこかしら「真摯に生きること」みたいに繋がっていた。
 それが80年代にはちゃらちゃらというか、性がファッション化した。
 こうした時代のスペクトラムで、オメーはどうったんだよというのがあるが、ここまで恥知らずに書いていながらなかなか書きづらい。個人的な問題というのもあるが。
 べたな話、どう童貞を捨てましたか、みたいな話だが。
 いや、こっ恥ずかしいというよりどうも錯綜している部分があってな。
 某氏のように30半ばまで童貞でした、というのなら話もすっきりするが。
 話は増田さんの独白に戻るけど、処女なり童貞なりというのを「捨てる」と、ああ人間というのは動物園を見るようなものですよ。
 私はぼうっと渋谷の交差点まえで、お前らどんだけおセックスすんだよ、この動物たちとか呆然と思ったことがあった。なんか生きていくのがいやになるというか、なんなんでしょ、人間の生存というか。
 まあ、このあたりも錯綜した話はいろいろある。
 総じていえば、性体験なんてそう豊富になっても普通の人には人生重苦しいだけだよ。山本夏彦翁だったか千人の女と寝ても一人の女もわからないみたいに言ったけど、女がわかるというのは数でもない。まあ、数じゃないと言い切れない世界もある。そっちの世界に人生の拠点を構えた人たちはいろいろぶいぶい言うけど、まあ、そいつら、全うな人間じゃあないよ。