人の話を聞くというか

 ⇒本を読まない人間
 私は本を何冊読むかというのはどうでもいいことじゃないか以下略なんだけど。
 繰り返し読む本は、その著者の内的な感覚に耳を澄ましているという感覚がある。
 というか、人の話を聞いているというか。
 私は若い頃、今でもそうかな、人の話を聞かないとよく叱責された。この話は書いたけど、それは大半は私がさっさと話をマクロ処理してその権力性を脱色してしまうからのようだ。人の話を聞けというのは、ようするに命令なのだから。
 それはそれとして。
 私は、人の話を、自分としてはよく聞いている。声とか論理とか、特に、言葉と言葉使いの感性を。
 特に、言葉のなかのある内的な感性の揺らぎみたいのを聞き分けようといつも無意識の努力をしている。
 文章のうまい人や頭のよい人というのはいて、そういう人は、ある程度文章をそのままマシン的にかける。わかりやすく明解というか。でも、そこの内的な感覚はおもむろに欠落している。そういう例ははてなダイアリーにも多いのだけど。というと批判ではなくて、理解できるだけの文章というのはつまらないというか、聞こえない。
 魂の響き、みたいな大げさなものではなく、書きながら矛盾に自分をオープンしている逡巡性みたいのがない文章はうまく聞けない。