猫猫先生の疑問
吉本隆明はどうやって生計を立てていたのだろうと思ったら、44歳の時に著作集が出ていた。すごい。今なら福田和也だって著作集なんか出せないだろう。
吉本の特許事務所の翻訳バイト生活が終わったのはいつだったか。そのころだったように思うが、著作集の上がりではたしか食えないのではないか。それとあの著作はある意味で、昭和史の資料の側面がある。
吉本は自身を売文家としていた。本を出すのは飯のためであって思想のためではないと。
では思想もそうなのかというと、そこはけじめをつけるためにカネにもならない「試行」を出していた。試行のなかで吉本はカネが欲しいとよくぼやいていた。
吉本はしかし1冊だけ、思想のために本を書いた。
「反核」異論 (1983年): 吉本 隆明 |