うーむ、ちょっと野暮なことを言うと

 ⇒経営を理解している労働者と、そうでない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場
 ドラッカーの思想を前期後期、あるいは何期かに分ける定説はないかもしれないし、初期からずっと継続されている部分はあるんだけど。
 けど、というのは。
 現代日本の場合、このエントリの意味でのドラッカーの「労働者」というのは、ちょっとざっくり言うと基本的に終わっているんですよ。
 ではなにかというと、ドラッカーは「テクノロジスト」と呼んでいます。
 ドラッカーというのは、ドラッカー自身を研究したいのでなければ、晩年の物から逆に読んでいくほうがよいです。
 で、と、「経営を理解してない労働者は、どんどん居場所がなくなり、年収も下がって」というのは、テクノロジストの課題ではないんです。つまり、現代的な課題じゃないんですよ。
 「全世界的なトレンド」という全世界っていうのは均質じゃないし、日本はBricsのセクターじゃないんですよ。
 じゃ、テクノロジストの課題はというと。

cover
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命: P.F. ドラッカー, Peter F. Drucker, 上田 惇生
 これに書いてあるんで、古本も安いから読んでない人は読むといいと思いますよ。
 こんな感じね(ちょっと理解がずれているところがあるけど)⇒先進国にとって唯一の競争力要因はテクノロジスト
 それと、こっちの本は標題にテクノロジストとあるけど、ちょっと古い。
cover
テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編)): P.F.ドラッカー, 上田 惇生
 ネットだとこんな感じ⇒第18回:「テクノロジスト」の社会的認知が必要:ITpro
 ほいで。
 なので、「経営を理解してない」というときの「経営」も、基本は変わらないけど、テクノロジストの側から見るとどうよというのがあって、後期ドラッカーは音楽の楽譜に喩えているけど、なんというか、これに近い。
cover
ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ: オリ・ブラフマン/ロッド・A・ベックストローム, 糸井 恵
 で、もとエントリに戻ると。
 このエントリもだし、対抗的に描かれている左翼さんたちもだけど、基本的にフォーディズムフレームワークに見える。
 ⇒フォーディズム - Wikipedia
 で、それは、終わったわけではないけど、ほぼ、今の若い人というか、あまり重要な課題じゃないというか。
 トフラーの。
 「 未来の衝撃 (中公文庫 M 178): アルビン・トフラー, 徳山 二郎: 本」
 アドホクラシーという未来がすでにやってきている。
 つうか。
 ポスト・フォーディズムが課題なんだけど。
 けどというのは、これとかこれとか。
cover
ポストフォーディズムの資本主義―社会科学と「ヒューマン・ネイチャー」: パオロ・ヴィルノ, 柱本 元彦
cover
ディオニュソスの労働―国家形態批判: アントニオ・ネグリ, マイケル・ハート, 長原 豊, 崎山 政毅, 酒井 隆史
 つまり、左翼さんとかだと、「人間的能力のすべてを労働へと動員し、その生物としての存在を剥き出しにするポストフォーディズム」といった理解なんだけど。
 そういう状態もあるにはあるんだけど、古すぎ。
 IT革命以前の90年代の話題⇒「 国際論争 日本型経営はポスト・フォーディズムか?: 加藤 哲郎, ロブ スティーヴン, Rob Steven: 本」
 現代日本の課題じゃないです。
 むしろ、「人間的能力のすべてを労働へと動員」よりも、「人間的欲望のすべてを商品やサービスへと誘導」するという、欲望によって自縄自縛というか、未来という形のローンというかそういうもので欲望によって拘束される状態のほうが問題なのな。
 ま、このあたりは、左翼さんとかに通じないと思うのだけど。(日本のように絶対的な貧困のない世界にとって貧困は欲望と連帯の問題。)
 で、分裂君、以上の話わかってないわけないのに。
 といういうことでちょっと野暮だけどね。
 つうか、こんな話題、現代で議論する課題じゃないですよ。
 
追記
 ⇒はてなブックマーク - うーむ、ちょっと野暮なことを言うと - finalventの日記

008年08月03日 repon 僕の頭が悪いので、finalventさんのおっしゃることは良く理解できない。fromdusktildawnさんのエントリでの議論は、もはや現代的ではない、と言う主張で良いのかしら?

 それでもいいけど。繰り返すけど、ドラッカーの晩年(現代にもっとも近い)の考えからすると、分裂君の言う意味での「労働者」というのは日本を含めた先進国の現状の課題じゃなくて、「テクノロジスト」が課題なんですよということ。該当書にわかりやすく書いてあるから読まれるといいですよ。

2008年08月03日 CrowClaw インクの収集, 極上獲得手にするmoney うーむ、俺は気付かないうちにフォーディズムの話をしていたらしい。俺の知らない「本心」をたーんと(ry/「欲望によって自縄自縛」の議論は興味深いが。

 それは本心といった思想信条の問題じゃないですよ。この話題の文脈での労働者というのは前提にフォーディズムがあるでしょっていうこと。生産の様式のなかで労働のありかたが決まるのだから、前提にその様式が想定されているというだけのことだよ。

2008年08月03日 inumash 労働 ん?ドラッカーの読みは別にしてこれもずれてね?『フォーディズムフレームワークは今の若い人にとって重要じゃない』?んん?本当か?

 ちゃんと同書にフォードを包括した形だけどテイラーの議論があるから、読んでごらん。

2008年08月03日 udy drucker, book わからねえ!と言う前に紹介された本を読めという話か。

 古本も安くなったから読んでみたらというのはあるけど、単純な話、分裂君が引いているドラッカーは初期・中期、それと少し後期がごちゃっとしていて、現代日本人のしかも若い人のおかれている労働という点で見るなら、現代にもっとも近いドラッカーの思索をたどるとよいよということ。

2008年08月04日 K2nd このスピードでこの内容をうpするのは野暮だと思われます。多少古い議題かもしれませんが、今の若い世代にとっても十分必要な思考ポイントだと思いますよ。古い業種やサービスだって日本にはまだまだ沢山あるし。

 野暮はさておき、「古い業種やサービスだって日本にはまだまだ沢山」、それはそうかなと思う。自分の問題意識でいえば、テクノロジストになりうる資質のある人間が単純労働者にさせられてしまう問題。ただし、そう言ってみれば気が付くと思うけど、「普通」の国はそこに外国人労働者を宛てる。つまり、右派左派というか左派がその問題を回避する傾向にある。この問題はドラッカーの射程外。

2008年08月04日 julajp 個人企業消費者国家括りの欲望ドライブ発動では先が見え、原油高等現実化して世界レベルで可能な事連携連帯せざる得ない。パラダイムシフトせにゃどうにもならない。興味関心での抑制循環見据えた繋がり。

 それは基本的にドラッカーの射程外。ただ、「原油高等現実化して世界レベルで可能な事連携連帯」は環境問題から見ると一見そう見えるけど、実はその逆になっていることは先日のWTO決裂から見てもわかる。粗っぽくいうと原油高騰は是だとする思想が必要になる。ただし、それはエネルギーを国家管理する古いタイプの帝国主義的な視点をどう回避させるか、つまり、より高度な資本主義の機構が必要になってしまう。そこが問題なんだよ。

2008年08月04日 BUNTEN 貧困 「日本のように絶対的な貧困のない世界」すると、行き倒れとか路上死とかはどういう理解になるのでしょう?

 これもドラッカーの射程外になるし、やや偽悪的なトーンになるけど、主要課題ではないというか別の問題。ちょっと踏み出して言うと、ここだけ集中批判されるかもしえれいないけど、「行き倒れとか路上死」というのは生き方の問題だし(現実にはメンタルケアの問題ったりするが)、それが自由なんだ(どんなメンタリティでもよい死も選べる)という選択でよいと思う、というと、好きでなっているわけではない、ということになるけど、そのあたりで、基本的に資本主義がという問題ではなくなると思う。(BUNTENさん、もうしばらく暑さが続くから気をつけて、できるだけ公共のエアコンの領域に避難してね。)

2008年08月04日 fromdusktildawn 最近は誤解されようが偏見をもたれようが、いちいち誤解を解こうとかいう気が起こらなくなってしまっているのは、年のせいかとおもってたけど、オイラよりはるかに年上の弁当翁はちゃんとレスしてるんだよなぁ。

 いつもそうでもない。基本的に通じない人には通じないし、私の場合、端的に私を失墜させること(なんらかのイデオロギー的な背景がありそうなんだけど)だけが目的の攻撃というもあるので、めんどくさい(もちろん失墜するような価値のある私の言説なんてないのだけどね)。ただ、TwitterWassrで思うのは、対話は可能なんで、むしろ、はてな村的な問題を文化戦争(労働者の敵を可視にする対立が必要だとかでも実際の対立はただの文化戦争でしかないことが多くなっている)に仕上げるパトスやぶくまみたいな路上ゴミ捨て的なものので対話が見えづらい。本論的に戻ると、労使関係という形は国家や社会に問われるけど、「労働者」の内側で「経営」を問うとき、現況では、既存組織(たぶんにフォーディズム的な組織)の経営ではなく、個人がどうテクノロジストたりうるかという課題になる。ぶっちゃけていうと、ドラッカーも言っているけどテクノロジストと企業とは対等の位置になる(現実は違うというはあるけど、一つのモデルとして)。なので、テクノロジストを中心にすえた、双方向のマネジメントが課題になるし、「明日を支配するもの」はそこがまさに課題になっている。

2008年08月04日 lilbit neta finalventさん、この書きざまはずばり野暮でしょ、と言った人から野暮になっていく再帰的メソッド?

 「メソッド」的にはそう見られてもしかたないと思う。ただ、メソッドを適用してまたネタを作ってみましたということじゃないのだけど。
 
おまけ
 君たちまだこんなネガコメっていうかゴミコメつけ回してんのかよ。

2008年08月03日 REV だれが最初に言い始めたか、という面白くない議論にならないといいのだけど。
2008年08月03日 FTTH # |ω・)……, ↓ 「だれが最初に言い始めたか、という面白くない議論にならないといいのだけど」あの歌を歌いたくなったが自重した俺えらいw
2008年08月04日 ruletheworld 今日も平和なはてな村, はてぶオンライン, はてブホイホイ, けまらしい ♪disりあいのときめき(ときめき)、殺伐な想いを(想いを)感じていたいいーつまーでもー

 
別のおまけ
 ⇒極東ブログ: 一九二三年十一月十一日、二〇〇五年十一月十一日
 
余談
 ⇒2008-08-03 - 社会の出来事、日常生活の感想

これって結局は、経営スキルのある技能者(労働者)をテクノロジストっていってるんだよね? 若い頃の理論を時代に合わせて焼きなおしただけじゃないの。。

 ちょっと違う。ただし、テクノロジストにはマネージメント能力が問われているとは言っている。
 基本的にドラッカーという人の思想には根幹があるのだけど、若い時の理論の焼き直しではなく、最晩年まで彼の思索は時代に合わせて変化している。そこをきちんと読むことがドラッカーを読むということ。でも、もう死んでしまったから、そのうち、その射程はなくなるけど。
 
 ⇒現在の経営学部では,ドラッカーはほとんど教えない件 - odahajime

ドラッカー経営学者っていうよりは作家兼コンサルタントビジネススクールの先生,という立場の人.彼の今後どういう社会になるか…という類の話は,価値判断が絡むので,学問ではない.酒の席で話すような話題の類.それをさ,えらい経営学者だってこう言っている,みたいに扱うのって学問の世界は良い迷惑だ.

 それはそうなんだけど。
 それなりにドラッカーは米国でも基本になっている。これとかにもドラッカーが基本として出てくる。

cover
あなたの職場のイヤな奴: サットン, I.R., 矢口 誠

著者 ロバート・I・サットン
スタンフォード大学工学部教授。専門は組織行動論、組織管理論、イノベーション理論。ミシガン大学で組織心理学博士号を取得。著書に『実行力不全』(J・フェファーとの共著)など。本書の大ヒットで「ビジネスウィーク」誌(オンライン版)では「ビジネス界にもっとも影響力を持つ教授10人」にも選ばれた。

 ⇒経済とはなんぞや - castleダイアリー

なんとなく「《航空機戦闘時代》に《大艦巨砲時代》の話なんてしてるなよ」みたいなニュアンスが感じられた。実際はどうかはわからないけど。

 とりあえずそれでいいと思う。というか、ドラッカーの「明日を支配するもの」には、そうはいっても(ここまでの補足と少し矛盾するけど)、企業側と「労働者」側の問題の二面はあり、「労働者」=テクノロジストの自己マネネージメントの部分だけを見ると、なんだこれはライフハックですか萎え、みたいな部分がある。その意味で、もう一度全体を俯瞰してポストフォーディズムを再構築してみましょうというのがおよそ思索者の理路なんですよ。ただ、これまで問われてきたポストフォーディズム、それは多様ではあるし私の知らないタイプもあると思うのだけど、基本的に現在世界の国家または国家群のパワーゲーム(WTO決裂やインドの核武装はなぜ、中国は一体どこへ)みたいな、べた部分がポストフォーディズムの視野から捨象しづらくなってしまった。わかりづらいと思うので原油高の例をすれば、これはサウジとかあるいは類した原油管理国家がよりグローバル資本主義化してそしてより市場に提供すればよいという解決、あるいはグローバル資本がブラジルのような方向性のある国家をさらに資本主義的に内包するといった解決、それが解決なのか? という問題を起こす。そうではないでしょ、というあたりで、ポストフォーディズムがえてしてという限定付きなんだけど、国独資論の最新版のようになってもしかたないし、こうした問題が「労働者」=テクノロジストの思想的なあるいは実践的な課題だとするのは無理があるし、その問題化が実際にはナショナリズム的に機能してしまう。