朝日社説 危機の漁業―原油高に耐える体質を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 この話題には朝日は触れないのかと思っていた。前半はレトリックマシンが書いたように朝日っぽいが意味はない感じだ。

 まず、漁船を省エネ型へ切り替え、電力消費が少ない発光ダイオード式の集魚灯を導入するなど、油依存の体質を改めていくことだ。

 私が見てきた感じでは、漁師の負担は実は船舶のローンにある。そうであればこうした省エネ型の投資はさらに国家主導で行う必要があるが、その市場的な見通しが国家にはないだろう。「さらに」の部分のディテールは少し言いづらい。

 売値を上げるためには、漁獲を抑えて需給を変えることも避けられないだろう。たしかに魚離れが心配だが、穀物の高騰からすべての食料品が値上がり傾向にあるので、それとの競争だ。日本近海では乱獲が指摘されており、水産資源を守ることにつながる面もある。そのための休漁や減船は、補償などで支援したらどうか。

 このあたり、執筆子が魚食いではないというか、いい奥さんがいるのか、世間の魚屋を知らないかなとは思う。というのは、魚というのは小麦粉製品とは違うし、生鮮野菜とも違う。基本的に所定量の問題ではない。というか、ディテールがむずかしい。概括して一般的な経済学的な分析が可能ではないといいたいわけではないが。

漁業者も魚を市場で量販店ルートへ流すだけでなく、質のいい魚を利益のでる値で売れるよう自ら販路を開拓する。流通段階を短縮して中間コストを減らす。そういう努力が必要だ。

 つまりその流通の魚と大量にさばく魚とは経路が違うのでよく見ていかないといけない、というか、仲買から小売りに至るまで魚を扱うには専門知識がいる。というか、魚食いもそうした知識が多少必要になる。

 いまや魚消費の4割を輸入に頼っている。原油高という苦境は世界のどこの漁業でも同じだ。日本食ブームもあり世界的に魚需要が増えているから、輸入価格も上がっていくだろう。

 リカルドーではないが、実はだから日本の漁業はその面で分担は可能だし、下魚についてはそうなる。というか、昨年もたぶん今年も秋刀魚は捕れすぎだ。鯨を増やして魚のバランスを変えたほうがいいのかもしれないというのは冗談。
 あと、今回のストライキだが、養殖型の漁業が農業的というか工業的になりつつあり、その面での安定性が出てくる反動がある。あまり言うといけないのだが、漁業というのはバクチの部分があった。

 日本は排他的経済水域の面積が世界6位と水産資源に恵まれている。この自然の恵みを生かし、これからの時代に合った魚食文化を育んでいきたい。漁業の構造転換がその土台となる。

 そう書いちゃうのもわからないわけではないが、魚食文化というのは先にも触れたがかなりの専門知識とその集団によって支えられるので、グロスで見るものではない。というか、そういう文化側面と「漁業の構造転換」という曖昧な言葉の実質である流通の問題はとりあえず切り離される。
 というか、今回の問題は基本的に、地方と老人の問題だと言ってもいいかもしれない。それしか高齢者の就労がないし、現代の日本に適合できずに保護してきた。保護は逆説的だが文化的に仕方がない面があり、個別補助はやむをえない面はある。