うまいものっていうのへの違和感

 うまいものというのは、見方にもよるけど、2種類あって、誰が食ってもうまいものと、味の教養みたいのがないとうまさがわからないものがある。
 後者がうんちくの対象のようだけど、実際には、案外そうでもないような気がする。代表的なのはワインかもだけど。そしてワインのうんちくたれはいっぱいいるけど。
 誰が食ってもうまい物の系列は単純にいうと、カネを積むともっとうまくなる。でも、なんかそうして高くてうまい物というのはなんか悲しい感じがしてくる。
 うまい物というのは、基本的に、なんというか、その瞬間だけのもので、しかもその気心みたいのが大切なんじゃないか。だから、また食いたいという再現性ってないんじゃないか。
 普通にいえば、魚には旬があるから、旬の魚を食っていたら、十分うまい。
 っていうか、日本人の美食は、魚に極まるような気がする。
 まあ、異論はあるだろうけど。
 オレが死ぬまでは旬の魚は日本から消えないだろうけど、50年後にはこの食文化はなくなるだろうな。