猫猫先生、大いに語る

 ⇒吉原真里を見直す - 猫を償うに猫をもってせよ

日本の女性学者は、フェミニズムやらジェンダー論の優等生的な論文を書いて、セックスについても先鋭的なことを言いつつ、自分自身の恋愛やセックスについて語る人があまりに少ない。吉原は、それを書いた。ネットで出会った相手とセックスしたこともちゃんと書いてある。米国の大学教授(40歳)だからこそということもあろうが、日本人であることを思えば、画期的である。

 共感はする。
 彼女たちが、まったく語らないわけではないけど、むしろ語りかただろうか。
 この問題は、吉本隆明シンパの自分なんかにしてみると、まさに対幻想の問題であって、国家幻想なんかと同じ比重の人生の修羅場。で、その修羅場はある意味峻別される。というか、国家幻想(共同幻想)や個人幻想から対幻想は分離される。逆に言えばだから生きる道もあるといえばそう。
 そのあたりの倒錯感というのは、吉本があれだけ語り、そしてそれを受け取る人がいても、あまり言論的な世界での変化はなかったなというか、あるいは見えづらいのかもしれない。