日経春秋 春秋(7/2)

▼78年の悲劇が世に知れ渡るのは、ずっと後になってからだ。それ以前にも当時13歳の横田めぐみさんらが拉致され、80年代には欧州滞在の留学生らが被害に遭っている。あらためて資料に目を通すと国家犯罪の闇の深さに慄然(りつぜん)とする。その無法に対する怒りを、私たちは変わらずに抱き続けているだろうか。
▼いまも行方が知れない人は多い。やがて米国がテロ支援国家の指定を解いたとしても、拉致の現実は歴然と残り、この国が実行犯をかくまっている事実も消えはしない。78年のサミットはハイジャック防止の声明のなかで「テロ活動と闘う」とうたった。その陰でその夏、これだけの非道が繰り広げられていた。

 そうは言うけれどこんな話が大手紙に掲載される時代が来ようとはという感慨が大きい。
 私は50歳にもなるから30年くらいの歴史はけっこう生活感覚で想起できる。そもそも、「北朝鮮」という言葉すら15年前には使えなかった。あの時代の感覚を思い出す。「そんなころ、じつは北朝鮮工作員が日本人を集中的に拉致していた。」というようなことは、言えば言うだけで酷い目にあったものだった。
 もっとも、今でも別の側面で同じことが続いているのだが。