中二病とかだけど

 率直に言うと、僕は、自分を中二病だと思っているけど、それって自分的にはごく普通のことなんじゃないかなとも思っている。
 うまく言えないけど、僕は社会にすんなり適合できる人ではないし、でもそれなりに適合もできる人だったし、というか、自分の内面と社会は分けている人なんで、内面の側はけっこうそのまま。ただ、この日記とかに書いていることが内面のすべてではなくて、けっこう違う側面もある。うまく言葉に出来ないし、虚構というわけでもないけど、ネットのfinalventさんは、他のインタフェースとそうきちんと相似形でもない。まあ、僕のことなんかどうでもいいけど。
 ネットを見ていると若い人が多いせいか、能力をアップして成功したいという人が多いのだろうと思うし、そういう成功の時、というまでの時間への確信や焦りもあるのだろうと思う。
 なので、ディスカレッジなことを言うのもなんだしすでに言ってしまったけど、実際にはそういう成功に到達する人は少ないというか、その間に身の丈のあった成功やライフスタイルを見つけて生きていく。
 というか、普通に孤独と社会との折り合いを見つけていくだけのことだと思う。
 普通に40代になれば、おっさんやおばさんになるもんだと思う。「普通」というのが微妙ではあるけど(いわゆる社会人という意味ではないけど、そう見えるというくらい)。
 で、そういうとき、ちょっとこれも通じないかもしれないけど、自分の孤独や悩みというか中二病的な部分というのはけっこう存在のコアの大切な部分だと思うのだけど。つまり、おっさんやおばさんもナイーブな心をもって普通に生きていていいんじゃないのか。
 最近ではあまり言われてないけど、ちんこはずるむけでもいいけど、なんか存在感までずるむけ感のある大人になることはないんじゃないか、というか、そこまで社会に屈服しなくてもいいんじゃないかと思う。自分の孤独や悩みみたいなものをそのまま大切にして生きていていいんじゃないのか? 大切なもんだと思うのだけど。
 昆虫でも植物でもある種のタフさとある種の繊細さを持っていきているわけで、その繊細さの弱さを、これは僕が間違っているのかもしれないけど、捨てようとはしない。強者が生存するより、多様性への戦略のなかで、それぞれの生命が固有の繊細な美を大切にしているように思える。ある種の花なんか、その美がそのままその存在の悩みのようでもある。
 世間を広く見ていると、そういうふうに美しい人は普通にいる。普通に苦しんでいる。普通に名もなく消えていく。でも、本人の側はそれでいいし、それしかないんじゃないかと思う。
 と書いたものの、マンネリ感があるが、まあ、デリんないで書いておこう。