スパムとは言い難いけどお宗教的なぶくま
⇒はてなブックマーク - 日本基督教団 小石川白山教会 礼拝説教要旨 −「風は思いのままに吹く」
まあ、ほっとけの類だろうけど、スパムというわけでもないか。せるくまだったら削除の類か。
⇒日本基督教団 小石川白山教会 礼拝説教要旨 −「風は思いのままに吹く」
日キなんで、日キっぽい感じはする。
イザヤ24:17−23には、「地の基震い動くとき」という言葉があります。阪神大震災に見舞われた神戸教会岩井健作牧師は、
「暗闇の地底から地鳴りをたてて押し寄せ、つき出してくる衝撃は手足も五臓六腑も思考も、一切の動きを金縛りのようにします。何の思い巡らす間もなく、下敷きになる」
と震災で亡くなった方の棺を会堂に入れたときの模様を思い起こしています。生活の日常と非日常、通常と緊急などの重なり合いを改めて、この地震を通じて感じたと、話されました。
聖書を読むとわかるが、この原典のほうの地の「地の基震い動く」は、主がそうされたことになっている。主が滅ぼされるということだ。このあたりの感覚もまた日本人には通じないところだろう。
「地の基震い動く」はティリヒの第一弾の説教集のタイトルでもあった。というか、しばしティリヒの説教を読み返した。
⇒「 The Shaking of the Foundations: Paul Tillich: 洋書」
ティリヒはこの破壊の力を主によるものだとしながら、それが知=科学を通して、被造物の終焉を人に委ねたとしていた。
やや強引な解釈でもあるが、それでも、この破壊が被造性に結びつけられているのは、神学者らしい。
被造物にはすべて終わりがある。その意味は、主が永遠であるということなのだが、それが信仰の根幹になるときあまり日本人的ではなくなる。