日経春秋 春秋(5/24)

100年前の値段を今と比べても意味はないと分かっていて、つい書いてしまった。石油を買う我々に複雑な思いをかきたてる、ドーヒニー邸のような石油がもたらす富のモニュメントは、建ち続けるのだろう。「石油の世紀」は、こう結ばれる。「われわれの世紀は、間違いなくなお依然として石油の時代なのである」

 コラム子あまり考えていないで書いているのだろうと思う。もっとも間違いがあるということではないが、目下の問題をきちんと見つめて頭のなかをリニューして考えないと。
 で、どうか。
 ちょっと偽悪的に言えば、余剰マネーが価格を上げるということはマネー価値自体の縮小の運動ではないかな。それと、産油国の枯渇というより、セーブは実質的に原油がマネー化してきていることでつまりは将来への投資的な意味を持ち出しているのだろう。
 世界経済とのチキンゲームなのだが、たぶん、中国・インドあたりから倒れ、ロシアに波及するのではないか。もちろんその間、被害ということではアフリカやアジア諸国に及ぶ(アジアは中国を除くと意外の農業の力がある)。日本はどうかな。たぶん、かなりの痛みを起こしながらコンパクトシティー化の傾向を促進することになり、結果また日本は辛うじて復活するのではないか。まあ、当面は日本オワタにはなるだろうけど。