なんとなくブログの今

 今日あたりにいうとなんだけど、ブログの今というか、ちょっと変わりつつある。いわゆるアルファブロガーみたいなものの位置も単に解体・解消してきているのかもしれないし、全体の枠が大きくなってクラスター化しているのかもしれない。そこでは、従来アルファブロガーと呼ばれた人たちより影響力のある焦点が存在するのではないだろうか。私などはmixiとか見えないし、Yahooブログとかその他のブログはよく見えない。が、重層的な発展の形態なのかもしれない。
 はてなというかはてな村は、こっそり異質化しているように思える。いわゆるはてな村的なぼこぼこの世界の嫌悪に聡い人たちはするっとTwitterに移行してある意味、はてなは空洞というか、はてなは本来のダイアリー=アーカイブ化しつつある。
 はてな村、あるいははてな的なものは、率直にいってぶくまだけになっただろうが、人気・注目のリストはまったくナンセンスとは言わないが、naoyaさんも自覚していたけど、カテゴリーのフィルタをかけないと、トピック的な部分ですでに熱死的になっている(CSSとかPHPとか上位に来るのは変でしょ)。
 ティップスや啓蒙的な部分が上位に来るのは、一般書店なんかと同じ傾向があるでそれはそれでいいのだが、専門店的な部分のニーズからは落ちる。
 ネガコメ関連は結局一時期の、つまり過渡期的な問題に収束しそうだ。結局、ネガコメも累積していけばエントリなりの表出になり、ただの浅薄さということにしかならない(ネガコメパラドックス:継続していけばだたのアホブロガー、ころころIDを変えればただの匿名ゴミ)。あとは、他者との関係なのだが、そもそもネガティブでかつ対話的でないスタンス(100文字だけ)というのでは限界がある。
 反面、ダイアリとコメントのクラスター化は進んでいて、いわゆる仲良しクラスター傾向が強くなってきている。これはもともとこのメディアがそういうものだが、これもsns的なバランスがあるのと、人は人に飽きるのだから、定常的な傾向かもしれない。同じことがいわゆるイデオロギー対立にも言える。テンプレ的なウヨサヨ話題が表出としては仲良しクラスター内・間のゲームに収束しているのだが、内部にいる人たちは外に向けた発言のつもりになっている。
 ブログに求心性を求めること自体が間違いというか過渡期的な現象なのだろう。
 私自身はブログを書きながら、少しスタンスの修正が問われている感じがする。もう少し公的な視線に耐えられるようにしたほうがいいのかもしれない。まあ、どうなるかはわからないけど。ちょっと別の言い方をすると、はてながブログ言説のプローブの役割をしていない。たぶん、他に何かがあることもないので、そもそもそうした事態もないのだろう。