日本国家のグランドデザインはどうあるべきか的(おちゃらけなんでそこんところよろしく)

 先日の高橋洋一の本読んで、財務省でこれだから、日本国家のグランドデザインっていうのは、不在なんじゃないかなと、正直にいうと気が抜けた。
 これ関連⇒極東ブログ: [書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)
 外務省関連が、もう、どうしようもないやもあるし。
 これ参考⇒極東ブログ: 女王陛下、英国大使の野上義二でございます
 とはいえ、サバイバルに対するなんか国策はありそう。
 これ参照⇒極東ブログ: 日本もカザフスタンのウランにはなりふり構わぬ資源外交
 基本的に日本は、未だに、戦時下の軍産共同体になっているし、そこにマスメディアが癒着した形になっている。
 幸いネットは、まあ、ゴミでしょ。なので、それほど熾烈な耕作地にはなっていないっぽい。
 あと、ソ連の崩壊から社会主義の頽落は目を覆うばかりのものがあり、そのあたりのイデオロギー的な勢力が結局、反日本的なルサンチマンになり、実際には海外耕作二毛作みたいになっているっぽい。まあ、総じて微々たるものだからどうでもいいけど。
 問題は、このところまた沈静化しているけど、化学プラント火災みたいに、システムの基本的な部分のカタストロフィーみたいのがあり、それはもう国家中枢の必然かな。
 反米を掲げる勢力も座間の問題には力及ばずというか、朝日新聞なんかも実はこっそり親米的なビヘイビアをしている。そのあたりで、実は、日本の利権階層の緩やかな合意というのはあるのだろう。
 むしろ、そこからスポーンと抜けているのが、はてなーみたいな若い知性なんだろう。これは、沢山いたら天才もいるよ運のいいダンコーガイ・レプリカもありかもよだけど、そこにも、国家グランドデザイン的なものはないし、なくてもいいのけどというか、そのあたりナショナリズムに吸着されてしまうことになるからね。
 ただ、国家のグランドデザインとか、変なことを思ったのは、もっとイデオロギー的なものを抜きにして、単に、経済経営というか、国家の「家」的な保護部分の経営見通しがどうかな、と。
 単純にいうと、左翼的な思想で国家を国民から外化して批判する、まあ、左翼とかぎらず西洋における国家とはそういう外化された人格なのだけど、実際には、日本人は日本国家株式会社の経営陣なわけで、その経営責任というかリターンのべた部分の問題がある。
 たとえば格差はいけないし、国家は反省しろ事件も多いのだけど、日本国家株式会社は簡単に精算できるものでもない。
 いずれ、20年スパンで壮大なクラッシュになると思うし、日本史を見ているとその時点で壮烈な精算をする。なんとかならんのかいなと思うけど、それでも諸外国の歴史に比べらべれば幸運なんだろう。