それはニーチェの逆では

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2008年03月18日 fromdusktildawn この話題関連で、もっともすばらしい記事の一つ。/ニーチェじゃのー。

 それはニーチェの逆では。
 と少し釣られる。

cover
ニーチェ入門 (ちくま新書): 竹田 青嗣

 たいていの若者は、時代の中で多くのことに違和感を抱き、異議を申し立て、反感をもち、不平を鳴らし、批判する。そういう場所からやがて思想を扱うようになった人間は、ますます多くのことに異議を申し立て、悲憤慷慨し、批判することになる。世の中はそれほど調和的には出来ていないからだ。しかし、ほとんどの思想家はこの異議や不満を才気に満ちた言葉のうちに遊ばせて(戯れさせて)おく。というのも、もしそれをほんとうに真剣に追い詰めると自分の言葉の方にいろいろな矛盾や問題が出てくるからである。
 しかし中には、「深い思想家――事柄の深みに入り込む人々」がいる。彼らは自分の言葉を、不満や異議をそれらしく際立たせるために用いるのをやめて「事柄の深み」を探求するために使用する。そして、きわめて稀に「徹底的な思想家」がいる。

 そもそもルサンチマンとは、感情を反芻すること、を意味する。つまり、「辛かったことにいつまでもこだわること」、「こんなに自分を苦しめた奴は誰だ」と、いつまでも恨みに思うことである。だからルサンチマン人間は、「あいつは力がある、したがってあいつは悪い」と考える。同様に彼らは、「あいつは自分のことばかりを考える、この力のない〈私たち〉のことはちっとも考えない、だからあいつらは悪い」と考える。こうして、「他人のことを考える人間だけが正しい人間である」という”反自然!的思想が生み出されることになる。
 ルサンチマンを持たない人間は、現実の矛盾をいったん認めた上で、自分の力において可能な目標を立て、あくまで現実を動かすことを意欲する。しかしルサンチマンを抱いた人間は、現実の矛盾を直視したくないために、願望を不満の中で現実を呪詛しこれを心のなかで否認することに情熱を燃やす。

 ニーチェという「徹底的な思想家」はこのルサンチマンの根源を壊滅しようとした。
 私という凡庸な人間がこのニーチェさんと長く付き合って思うことは、ルサンチマンとはそれ自体が権力の呪縛機能でではないのかなということだ。ルサンチマンに駆られた人は悪しき権力のしもべとなり、自身と他者を虐げていることになるのではなという疑念。
 
追記
 私の誤解があり、fromdusktildawnさんを煩わせてしまいました。

2008年03月18日 fromdusktildawn この話題関連で、もっともすばらしい記事の一つ。/以上、モンティ・パイソンによるニーチェネタをお送りいたしました。

 コメント欄のfromdusktildawnさんのコメントも参照のこと。