日経春秋 春秋

逮捕状に記された容疑事実はロサンゼルス市警が考えた「真実」に基づくが、その核心部分を日本の確定裁判は「真実とするには疑いが残る」と判断ずみだ。市警の思惑どおり、二つの国をまたいだ“再審裁判”が行われるならば、どんな「真実」が認定されるのだろう。ちなみに巌窟王事件の顛末記の題は『真実は生きている』である。

 そう考える日本人も多いと思うが、今回の問題は、いわゆる新証拠=真実、という枠組みの他に、「共謀」についての司法のあり方の差異がある。日経社内に法に詳しい人もいると思うで、お茶を濁して終わりのコラムではなく、きちんと再考してみてもよいのではないか。