漢字というのはそのためにある

 ⇒北京語と広東語 - 犬鍋の韓国漫談

 けれども,広東語と北京語は,書き言葉は(字体は別にして)同じなんだそうです。つまり,同じ中国語の文章を,北京の人と香港の人は,まったく違う発音で読む。香港人の頭の中で鳴っているのは広東語の発音。

 実は近世まで日本もそうだった。
 候文に返り点とかついているのがその名残り。
 十七条憲法とか聖徳太子の心とか勘違いしている人がいるけど、あれ、漢文。
 ついでに。

 日本の沖縄方言は,歴史的に日本語と同一の祖語から枝分かれした,日本語の方言だということが証明されていますが,別言語といってもいいほどにかけ離れていて,通じない。文字に書いたところで,わからなさ加減は同じです。

 ところがこれは平安時代あたりの民衆の言葉が音声変化しただけで、実はけっこうそういう意味で日本語だった。
 日本祖語から分かれた説は、違うと思いますよ。
 
追記
 これはちょっと追記したほうがいいかな。
 ⇒はてなブックマーク - 漢字というのはそのためにある - finalventの日記

2008年02月24日 mobanama 言語, 歴史 近世まで日本の書き言葉が中国語と同じってのは無茶だろう。せいぜい公式文書が和臭ぷんぷんの漢文ライクなものだっただけで。過度な一般化はイクナイ。

 書き言葉が同じというわけではなくて、中国語は漢文という形態でそう日本人に読まれていたということ。そのあたりは、朝鮮通信使の歴史とかご参照あれ。
 逆に候文(日本語)は漢文ではないから中国人は読めない。でも、まったく理解でないわけでもなさそうだった。
 少なくとも五山文化までは中国語というのはけっこうそのまま日本語に流れ込んでいたしし、明朝の亡命人もそれなりに筆談でなんとかなった。その後、江戸中期になって、朱子学の知識人が北京語風の発言をやって庶民からバカじゃねみたく思われていた。「あんぽんたん」とか「素敵」とか案外その名残かも(これは不正確)。
 あと、中国では漢字は地方によって発音が違うが地域に限定すれば音は一つしかない。なので、日本人みたいに漢字にいろいろな音や読みをあてる文化ではその一つのセットに現地音を当てれば、そのまま読み下せる。字面から意味もわかる。この便宜に実は千字文の文選読みが使われていたし、状況は朝鮮も同じ。もっとも文選読みで中国語になったという意味ではなく、そういう学習の原理性が日本文化に埋め込まれていたということ。日本文化とういのは広義に中華周辺文化という骨格をもっている。
 この状態は明治時代でもまだ生き残っていて、孫文とか蒋介石なんかも日本でそのまま勉強できるのはそういうこと。これは朝鮮語でも同じで、朝鮮語の場合は漢字で表記しちゃうとテニヲハが違うだけでそのまま読める。
 戦後、中共が漢字を変更し、朝鮮がハングルになって、日本のそういう影響を脱そうとした。まあ、それだけが国字の理由ではないのだけど。
 さらに脱線。
 いわゆる四書五経みたいなのは漢字で書いてあるけど、あれ、中国人なら音として読めるけど中国語にはならない。いわゆる古典の漢文というのは中国人にとっても外国語。このあたりは、古典ギリシア語と現代ギリシア語でもそうだし、そもそも源氏物語とか日本人が読めないのとも似ている。