ジェリー・ヤンのこと

 ⇒ヤフー創設者ジェリー・ヤンは土俵際で――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

 39歳のヤン氏は10歳のとき、母親と一緒に台湾から米国に移住した。父はすでに亡くなっていた。今では結婚して娘がおり、ゴルフ好き。2005年には近くのペブル・ビーチでホール・イン・ワンを決めたことがあって、サンフランシスコ・バレエ団の後援者だ。
 ヤフーは14年前、スタンフォード大学のキャンパスで、「ジェリーのワールドワイドウェブ・ガイド」として始まった。共同創設者のデビッド・ファイロ氏はヤン氏以上に目立つことが嫌いで、「デビッドとジェリーのガイド」という名前を嫌がった。なのでしばらくして思いついた名前が「Yahoo」。「Yet Another Hierarchical Officious Oracle (またもや登場した階層的でお節介な神託)」の略だ。誕生まもないWWWでスタートしたYahooは間もなく、ウエブサイトのディレクトリとして圧倒的な存在となる。そして2人の理工学専攻の院生は、ウエブという新メディアを一般に伝えるガイドとして賞賛された。

 私はごく初期のYahoo!を知っている。今にしてみるとちっぽけなリンクリストだった。確か大学のサーバーだったと思う。そしてヤンのページも覗いていた。というのは、ヤンはHDLというか半導体機能設計の院生で私もあのころまだその関連の仕事の余波があって、へぇと思っていた。

 ヤン、ファイロ両氏を助けて1994年のヤフー誕生を手伝った、シリコン・バレーの新興企業「アトリビューター」のジム・ブロックCEOは、2人はほかの起業家とは違っていたと話す。起業家というのは往々にして、自分は富と名声を手にする資格があると自負しているものだが、2人は違ったのだという。
 「自分たちは成功するはずだなんて2人は思っていなかったし、成功してもあんなに変わらなかった起業家を、ほかに知らない」

 学生続けたかったのではないか(学者になりたいのでは)と思っていた。
 余談だが、沖縄にいたころ、アンドリーセンの同級生にあったので、どんな子?と聞いたら、フツーとか言っていた。よく食っている子でもあったらしい。