ふと

 はてなとか若い人、ま、私より若い人は多い、そういう人からだと、まだまだ人生あるかなという感じがあり、人生は成功の場だろう、ステージだろうみたく思われているのではないか。それでも青春の終わりみたいな経験はそろそろないのだろうかとも思うが。よくわからない。だいたい私の世代の25歳の感覚が今の35歳の感覚かもしれない、男女とも。ま、それはそれとして。
 で、人生を成功とか失敗とかそういう視点で見ていくと、その、それでもいいんだけど、こうしてぶくまとかで見ていくと、見ていく必要もないしいいからかんに見ているだけだけど、個性化というのはあまり感じてないか、感じている人は見えないものだ。
 ある日自分というものに気が付いてしまったら、成功なんかどうでもいいし、恋愛とかも非モテとかの問題ではなくなる。そうなれというわけでもないし、あまり直裁にいうとあれなんでぼかしていうと、成功しない非モテな自分だけど今は成功してモテとも関係ない自分なおっさんが偉そうに言うの聞くとういのは、あまり個性化とは関係ない。
 個性化というのは生き様にモデルがないということで、それでも世界との折り合いをつけないと生存できない。折り合いの付け方で重要なのは世界の多様性の認識なんで、まさにそれこそ、世界の個性化に向き合うことになる。
 ほいで、そのとき、自分の個性化や世界の個性化でいちばん大切なのは、そこに自己という一点と世界の今ここ「有時」の一点での出会いというかその本質みたいなもの。
 それはさておき、薄目でこの状況を見ると、結果としては、サバイバルということになる。いやべたに言えば、ここでオレ出しすると、オレとか50歳までサバイバルしてましたというのはある。
 しょぼくいうと、サバイバルが目的でないにせよ、サバイバルの均衡感がないと生きていけないという生存の感覚というか、自分のいたわりみたいなものは、あれ、40歳前くらいにあるとよいのかもしれないけど、そのあたりでクリティカルなのは、個性化のある達成なんだろうと思う。
 露骨にいうと、おセックスとかの均衡とかをそれなりに見ていかないといけないのでしょう。
 ま、この話はなかなかうまく言えない。いうと、オレ出しだけになるし、はてなとかでは誤解されるほうに傾く傾向はある。
 いずれ人は全員自分の死を死ぬということでは、サバイバルしていれば自然に出る結論でもあるから、言うだけ無駄かもしれないが。