このところ「信用」というのをときたま思うのだけど

 まあ、床屋談義になるけど。
 「信用」というのは、貸した金が返せるということ、で、とりあえずいい。
 で、それは日本では、土地ということだった。ま、それもとりあえずいいでしょ。
 で、それはフィクションだけど、国家はそのフィクションで成立していた、と、プラザ合意前まではね。
 で、そのあたりからいろいろある。というか、わからない点も多いのだけど。
 目下のところ、土地なんかは、結局それも有用性みたいなものにきちんと還元されてしまって、価値のある土地とそうでもない土地という、コモディティになる。というか、ふつう投資先としての土地というのはさすがに時代遅れというか云々。
 すると、信用というのは、成長見込みということになる。
 ただ、成長というより、リターンというか利子の見込みなんで、パイの大きさで成長はどうとも決まるかに見える。
 でも、でもというのは、そのあたりは単純に枝葉末節に思えてきた。
 経済的な未来展望があるというのが、ようするに信用ということでいいのではないか。
 そういう意味で、日本に、これから投資に見合うだけの未来展望があるのかというと、単純にないんじゃないか。
 あとは日本を切り売りするというか、ただ、買うの日本人なんで、ようするに、日本全体がいわば老後の年金暮らしの国になったということなんだろう。
 というあたりで、米国は依然そうならない。出生率を維持し、人口を増加させ、軍事力を維持しよとしている。ま、それは、ローマ帝国時代から続く、国家の知恵みたいなというか、ああいう人々の無意識的な常識なのだろう。
 で、歴史の教訓としてはそれはそれで正しいのだろう。
 で日本はというと、そういう歴史の教訓からは、いよいよオワタなのか?
 まあ、私が生きている内には白黒も付かないような気がする。そして私がどうできるものでもないな。