快晴

 富士山が美しい。冬だなと思う。
 天気図も冬型。通称裏日本では暗い冬になっていきそうだ。明け方気圧の谷間が関東を通過しているが私の精神的なものへは影響がほとんどない。影響出た人は出たのではないか。
 夢は覚えていない。想起しようとすると、梯子をつかってどうのというのが出てくるのだがほどんとたぐれない。意味というか強度もなさそうだ。
 スケジュールがいよいよ年末というか、もう来年中心に考える。いろいろ決めないといけないこともあるのと、決めずに流されていくほうがいいこともある。
 思想的にはというほどではないが考える課題のようなものはいろいろ転機がある。Twitterにさらさらとキチガイめいたことを書くが、そこに片鱗を記すくらいであまりネットでの展開はない。書いてかけないことはないし、これまでも書いていることではあるのだろうが、ちょっとfinalventブランド?みたいなものは息苦しい感じはする。かといって別のハンドルでこそっとブログを書いてもそれほど大構にしないことには匿名なんてことはないしその意味もないのだから、空しい。というか、ネットというメディアのある種の限界かもしれない。ただ、なんというのか、ネットvsリアル、というのと違うなという感じはする。これは、あれ、シュタイナー系のネットワークにも似ている。自分も少し末端にいるにはいるのだが、私はそれほどシュタイナーに関心があるわけでもなく、なんというか西洋芸術の一つの達成・頂点くらいにしか見ていない。でもそうしたものは、細い人のつながりから見えてくる。ほかにもそういうものは多い。私がわずかに関係しているNPOもネットは活用しているがあまりネットからはつながりは見えない。まあ、そういうものなのかもしれない。
 あと、これも素直にいうのだが、イデオロギー的なものは自分にはかなりどうでもよくなってきている部分はある。日本も世界もなるようにしかならないし、自分が通じない他人の世界のようにも思える。