補足的というか

 山本七平は、心底戦争がいやだった。そして戦争の実態を自身の経験から執拗に書いた。戦争はこりごりだ、どうしてこんな愚かなことになったのか、というのとそれを具現化した現人神を命を削って追った。左翼は現人神を目に見える昭和天皇天皇制だと見ている。しかし、柄谷行人ですら、日本的自然性というように、昭和天皇や具体的な天皇制が問題の根幹にあるわけでもない(ただ、それを否定しつくすことには日本の階級・官僚構造を壊す意義はあるにはある)。
 日本に戦争なんかできるわけがない。あれだけひどい惨事をやって学べよというのが山本の本心といえば本心だった。だが、それが、ネットとか見ているあまり通じているふうはないというか表向きなところからはあまり見えない。
 ただ、山本は、日本国憲法も偽物だと見ていたようではある。
 私は、この点では、吉本隆明に近い。憲法っていうのは、あれだけ酷い戦争をやって唯一日本人が得た宝だよという観点だ。
 ただ、吉本は、単的にいえば戦争否定の9条だけが意味を持つとしてあとはそれほど重視していない。
 私は、日本国憲法というのは、世界精神の最高の到達だと考えている。
 ただ、私が憲法に疑念を抱くとすれば、この世界精神は根幹のところで、人間の自由意志というものを操作概念で見ているのではないか、スキナー思想が混入しているなというあたりだ。
 まあ、ぼんやり書いてしまったが、山本も吉本も大正生まれの爺たちは、平和憲法というのを焼け野原で確認して、じゃ、これで日本がやっていくのだと思ったというか、みんなそう思った。戦争はもうこりごりだと思ったという実感的な厚い裏打ちがあった。
 そして、戦争というものが日本国に限らずこりごりだよという世界ができればいいと思った。
 そうした、暗黙の普通の感覚がさすがにあの年代の爺や婆が死に絶えるとおかしなことになってしまったなと思う。
 ああ、あともう一つ。
 ソ連が瓦解したこともこの世代に特有の陰影をもたらした。ソ連が失敗したというより、ソ連がやっていたことが歴史に明らかになったということだ。
 ソ連型左翼はだめだ、じゃ、どういう左翼があるのか、そのあたりの模索というか苦悩した人々もそのまま死んじゃったなという感じだ。
 吉本はスターリニスト的な左翼を徹底的に嫌ったが、鶴見俊輔には友愛感をもっている。江藤淳にももっていたな。三島由紀夫にもそうだったか。歴史に向き合う心情のようなものだ。