いつからか

 いつからだろうか。あまりなんも考えずに書くのもなんだが、誰かを好きになるというのを自分はきちんと抑制するようになった。抑制というのではない。断念というのだろうか。もっと無防備に書くと、誰かを好きになることで、その人を自分に巻き込ませたくない。自分が関わらなければその人は普通に幸せに生きているだろうに、俺なんかどうでもいいじゃんと私は自分に語る。
 若いときのきつい失恋の教訓というか呪いかもしれない。彼女は私といることで自分の人生がダメになっていくように思えて去っていった。
 もちろん、そうして去られた自分というのはみじめなものだ。漫画みたいだが、いつか見返してやるみたいな気概というのも一つのソリューションかもしれないが、私にはそれはできなかったし、自分はただダメになっていくのを感じた。
 が、より暴露的に言うなら、私は私を去った人間を、去らせていたかもしれない。私は私の人生に押し掛かる奇妙な存在におそらく自分一人で戦う人生なんだろうと思ってもいた。そしてそのことの価値に耐えられる他者はないだろうとも。
 まあ、いずれにせよ、時が過ぎ、私は老い、こうした問題はある意味で終わりになった。私は無意味だ、終わりというのもある。
 ただ、人生というものを、これもてらいもなく言えば、深く見つめていけば、好きとか愛とかにはもっと神聖な力というものがある。この先は信仰のようになってしまうのかもしれないが、そういう神聖な力というものを見た人生でもあったという点では、幸せだったかなとも思う。
 もちろん、その対極の力も見たし、私はぼろぼろにもなったな。
 愛だの恋だのというなら、人はそれなりの限界性というのを持つのだから、落ち着くところがあるのだろうと思うし、いずれ浅薄な人生の幸せと人が見ようが、どうでもいいことだ。