増田のこれだが
あまり突っ込む気はないが
⇒http://anond.hatelabo.jp/20071012045754
俺の解釈だが。
ラプラスの悪魔的な意味で:不確定性原理により、この世界の存在にとって、この世界は決定論が成立しない。(確率的には決定してるかも)
これだが。
不確定性原理というのは測定についてであって、もっと言うと測定前にある限定における確定性の度合いであって、測定事後にはまったくの決定になる。
別の言い方をすると、とウィキペディアを覗いて表現を借りると、「粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができない」ということで、この表現でも暗黙に測定事後の決定性がしのびこんでいるがゆえに粒子となっている。
この問題は、量子力学については、量子力学とはそういう学の体系であり、それは限定についてはかなり正鵠、ということで、これは日常生活においてニュートン力学が正鵠と同じ、経験的な意味しかない。
これもめんどくさいのは。
不確定性原理でいうときの確率と、
明日雨が降る確率が
同じ意味なのか? 違うのではないか。
後者な実はナンセンスだろう。
では不確定性原理のほうはというと、これはナンセンスではない。限定(つまり相関の限定)では確からしさが確定的に言える。
これらの奇妙な問題は、決定論というツラをしている時間論の問題であり、おそらくは過去から未来に流れる時間のあるモデルが確率というツラをしていることの問題なのだろう。
だが、そういう時間は存在しないのかもしれない。