ネットで否定性に会うとき

 その否定性がけっこう限定的なのに、人格攻撃的になるのはなぜなんだろ。
 ま、直感的にはわかりやすい感じもするけど、よくわからないといえばわからない。
 xxxxxxxはダメだ、と言う場合、実は、特定のトピックや政治ポジションへの否定と限定されていて、別側面の話題は、さらりと捨象されている。
 しかし、xxxxxxxの言説というのは、人にもよるけど、そう単様的ではないことがある。だが、といいながら、思ったのは、人格否定的な欲望があって、そこに否定関心の言説が従属するからなのではないだろうか。
 ま、どうでもいいし、少しずつ賢くならないといけないと思うのは、自分については、それほど関心のない領域で、しかも語れば否定的にしか受け止められない部分は、ま、黙っているほうがいい。
 つまりは、お前は語るなという一種の権力に調和していろみたいなものでもある。だが、自分もそれほど関心ないしなというのもある。
 逆に、たぶんと言っていいと思うけど、xxxxxxxなんて人格には関心なく、そこから発信されるノイズのなかから、特定の情報のメリットを受け止められる方も、多いということもある。ネットなんてそんなものだしと思うし、受け止められる情報があればそれでええんでないのと思う。