名前と家柄というか

 家柄があると、名前というのは、自由に付けられないんですよ。
 名前を見ると階級とかわかるんですよ。
 まあ、昔は。
 いつごろまでを昔というか。
 日本人の名前ができたのは、実際には明治時代の後半かな。
 武士階級でないと、名前というのは呼称に過ぎないし。女には事実上名前はないです。
 というか、出世すると名が付く。
 渋沢栄一とかもそうじゃなかったか。
 そうだ⇒渋沢栄一 - Wikipedia

幼名は市三郎。後に栄一郎、篤太夫、篤太郎などを名乗る。

一方で5歳の頃より父から読書を授けられ、7歳の時には従兄の尾高惇忠のもとに通い四書五経や『日本外史』を学ぶ。18歳の時(1858年)には惇忠の妹千代と結婚、名を栄一郎と改めるが、1861年に江戸に出て海保漁村の門下生となる。

 まあ、そんなもの。
 立志なければ、渋沢市三郎のまま。
 岸信介あたりはもうそうでもない。
 ⇒岸信介 - Wikipedia
 が。

信介が生まれた時、曽祖父の信寛もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字をとって「信介」という名が付けられた[2]。

 まあ、そんなもの。
 安倍晋三もそうか。
 ちなみに⇒安倍晋太郎 : 安倍晋太郎 - Wikipedia

政治家・安倍寛、静子夫妻の長男として東京に生まれる。生後間もなく郷里の山口に戻り幼少期を過ごす。「晋太郎」の名は、明治維新の志士であった高杉晋作の一字を取って命名された。

 ふとあれ?という感じがした。
 やっぱそうか⇒高杉晋作 - Wikipedia

諱は春風。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫。号は東行。 贈正四位

 普通だと、高杉東行のはず。
 そういえば。
 ⇒勝海舟 - Wikipedia

幼名は麟太郎(りんたろう)。本名義邦 (よしくに)、維新後改名して安芳(やすよし)。これは幕末期、安房守に任ぜられたことから勝 安房(かつ あわ)と呼ばれたため、安房(あほう)と同じ音の安芳と変えたもの。海舟は号。佐久間象山よりもらった「海舟書屋」よりとったという。

 号のほうが有名。
 ついでに。
 ⇒西郷隆盛 - Wikipedia

名(諱)は元服時には隆永(たかなが)、のちに武雄・隆盛(たかもり)と改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉之助と順次変えた。号は南洲(なんしゅう)。父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父吉兵衛の名を届けたので、それ以後は父の名を名乗ったからである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門などの変名も名乗った。

 勝のものなどを読むと、南洲と呼ばれていることがわかるが、民間ではずっと西郷隆盛なのはなぜか? 逆賊ゆえ?
 ついでに。読んどいたほうがいいと思うよ、これ。

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西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫): 山田 済斎
 うひゃ、こんなのもある。
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話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく (PHP文庫): 長尾 剛
 ええと、これらは歴史書として読むべきであって、あまり人生座右の書としないほうがよさげです。
 
さらについでに福澤諭吉
 ⇒福澤諭吉 - Wikipedia

1835年1月10日(天保5年12月12日)大坂堂島浜(大阪市福島区)にあった豊前国中津藩(大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士福澤百助・於順の次男として生まれる。諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が『上諭条例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生まれたことによる。

 あれれ? これでええんか? 儒者だとすると……
 これこれ。
 ⇒福沢 諭吉(福澤 諭吉) / 全国名前辞典

◇明治時代の啓蒙思想家・教育家・評論家。幼名は範(ハン)、字
(アザナ)は子囲(シイ)、号は雪池(セッチ)・卅一谷人、一時期は中村
姓。豊前国中津の奥平藩の下級武士として大阪蔵屋敷に生れる。

 姓は中村。
 福澤(ふくさわ)は屋号だったのか?
 ⇒慶應義塾大学出版会|慶應義塾・福澤諭吉 | ウェブでしか読めない | 福沢屋諭吉