朝日社説 小田実氏死去―市民参加の道を示した

 おやおや朝日新聞が社説で。そういうものかと読む。ベ平連の話から「その後」でイラク戦争が接合されている文章というのは珍妙なものだなと思った。文革ポルポトもない戦後左翼の歴史か。

 こうした市民運動のやり方は、さまざまな住民運動のほか、のちの非営利組織(NPO)や非政府組織(NGO)の活動にも影響を与えた。その原点をたどれば、組織よりも個人の自由な発想を大事にする小田さんの個性があった。
 小田さんはその後も、阪神大震災の被災者救援や、憲法を守る「九条の会」などで、いつも社会にかかわっていくという姿勢を貫いてきた。
 いま、イラク戦争に反対する声が世界に満ち、反戦デモもあちこちで見られるが、日本では大勢の人々が加わる反戦デモは影をひそめた。ベ平連が活発に動いていた時代の熱気は失われた。

 沖縄で暮らしながら私は私なりにベトナム戦争の傷跡を探った。沖縄はベトナム戦争の当事者に巻き込まれていた。内地人にも知的にはわかる。だが、恋人の米兵が戦争に巻き込まれていくという戦後の「日本人女性の戦争体験」というものは、内地側で語られたことがあるだろうか。あるのかもしれないが、私は知らない。私は内地がベ平連反戦をしているとき、死に怯える米兵とロックを歌った紫の活動のほうが意義深いのではないかと思った。
 ⇒紫 (バンド) - Wikipedia
 インターネットを始めたころ米老兵たちが私にオキナワの女のことや紫のことをよく聞いてきた。彼らに会えるか、ありがとうと言いたい、そう言っていた。彼らの心に残るなにかを思った。戦争なんかいまわしいものだ。だがそのなかで生きて行かなくてはならない人間は反戦活動をするのではなく、恋をしたりロックを歌う。私はその人間の生き方のほうに力を覚えるし、反戦というのが成立するならそうした人間の生活の叫びのなかに胚胎するものだろうと思った。