日経 春秋(7/19)

 ☆256☆☆☆☆

 ミヤケンと聞いて亡くなった宮本顕治日本共産党元議長が思い浮かぶのはどれくらいから上の世代だろうか。より年長だと、共産党指導者として強い印象を残すのはトッキュウこと徳田球一氏かもしれないが、ある世代には宮本氏こそ共産党と一体の存在だ。

 なごんちゅー⇒徳田球一 - Wikipedia
 彼が日共を作った。というか、ここで沖縄の文脈が出てくることがすでに左派のタブー化しているみたいだ。ところが名護ではいわゆる保守系の人がトッキュウを偉人としている。無名の年寄りは歴史の生き証人として長生きするべきだな。俺も長い生きしてぼやいていたいものだな(とかいうユーモアセンスが爺臭いとか言われるけどトッキュウとか名護衆とか知らないでバーカバーカとか言われても云々)。

もう一つ宮本氏の名が世間に知られる契機になった、9歳年上の作家・中条百合子との結婚のときには「お互いの運命が党と労働者階級の波瀾(はらん)と苦難にみちた道にむすびつけられていることを覚悟していた」(『百合子追想』)。政治信条で結ばれた夫婦の愛情物語は共産主義のこわもてのイメージを随分和らげた。

 このあたりも執筆子のユーモアなんだよ。解説しないけどさ。