そういえば中二病

 ぶくまだろうか、finalventっていい歳した中二病じゃねーの、みたいなを見たことがあるように思う。あるいは記憶違いか。
 で、そう言われたとしても、なんだか嘘くさいように聞こえるのかもしれないのだが、なんと考えていいのかわからないという困惑のリアクションがまずある。
 馬鹿にされたとかは思わない。私はマジ、中二病じゃないかと自分を十分疑っている。し、それを恥ずかしいことと思うかというと、実際がそうであればしかたないな、というのと、他者とインタフェースで他者を傷つけるようにそれが表出しちゃうのはまずいかなと思う。というか、私はけっこうそういうふうに社会の人にはなるべく無害であるべく行動するので、ただのオッサンのように見られているし、実際ただのオッサン以外のなにものでもないのだが。
 が、内的には、依然、中二病っぽい。
 というか、自分の心のなかには、四歳の自分、十歳の自分、十四歳の自分、十八歳の自分、二十二歳の自分、二十五歳の自分、三十二歳の自分、三十四歳の自分というあたりで、その先は摩滅していく。いやその後の自分の一部もあり、そういう部分で書いていると、finalvent爺っぽいのだろう。(ちなみに、「爺」と言われても罵倒とも思わない。誤解されているとも思わない。理解されてないとも思わない。単純にそう見えるんだろうなくらい。)
 また、はてなに同調しちゃうのか、「二十二歳の自分、二十五歳の自分、三十二歳の自分、三十四歳」みたいのが共鳴しちゃう部分はある。
 で、問題は、どうも、ひりひりと、「十四歳の自分、十八歳の自分」というのの感性が依然とある。
 誰もがそういうものだ、少年や少女の心を内包して生きているのだととも言えるのだろうが、うまく言えないが、どうもちょっと違う。
 ある種の脳の機能障害のようなものかもしれないとも思うのだがよくわからない。才能といったなんか役立つものでもなさそうだ。
 なんかよくわからない。
 まあ、自分語りのようになってしまうのだけど、意識的には、もうちょっと離人症的な感じがするのだけど。
 ああ、ちょっと別の言い方をすると。
 私が別のハンドルで中二病的感性を全開したとき、誰か、こいつfinalventじゃねーの爺臭いぜと気がつくだろうか。(気がつかないと言いたいわけではない。そういうのを全開しちゃったらどうなるんだろうとふと思う。)