ちょっとナイーブにいうと

 なんというか、リアディゾンでも私はその顔から心情が読めない。ほとんど外人の顔から感情が読めない。アジア人でもそう。で、じゃ、実際、他の日本人と比べて私の対外人的な表情読み取り能力が低いのかというと、そこはそれほどそうでもない。
 うまく言えないのだけど、外人の映画とか見ていると、表情を見るだけで疲れてしまうことがある。矛盾した言い方だけど、心情は読みやすいように読めてしまって。で、演劇というのはその読みやすさと演技者の主体の微妙なズレにあるはずなんだけど、そこもな、と。
 で、と。
 歳のせいもあるのだろうけど、外人には萌えない。じゃ、日本人なら萌えるのかというと、まあ、そうかな。若干私はエスニックシフトしているが。
 で、と。
 で、わかんないのが、おセックスの情感というか。外国人の愛し合おうよみたいのの、あのむさぼるような肉体への感覚が、よくわからん。なんかもうむさぼるというか、孤独の痛みみたいのが露出しているみたいなというか。ブリキの太鼓の映画で、主人公の母親が不倫するところのシーンなんか、無表情に、ひたすらプールの着替え室みたいに脱いで抱き合っていた。ああ、あれが西洋人ってものかなと思った。
 西洋人のAVとか日本人のAVとかまったく見たことがないわけではないが、やはりそこはすごく違う。それと日本人のAVだと、うーむ、視線というか対象性というか、おセックスというのはああいうもんじゃないでしょとフツーの人は思うのではないかと思うが、よくわからん。
 そういえば、私の青春時代は、日活ポルノロマンだったか、そういう時代だった。これがなんつうかいかにもアジアンな肉体のお姉さんたちが情感のストーリーのテンコモリのなかにぎくしゃくと投げ込まれる。で、それからビニ本とかなくなり、エロ映画もなくなって、あの情感みたいなものもなくなった。
 あれはなんだったのだろう。ただ、それも、おセックスとは違うように思える。
 生きるってよくわからんな。
 50歳まで生きてみて、赤玉近くなっても、皆目わからん。
 女性経験の数が多ければわかるもんでもないと思うが、そのあたりもご勝手にの部類だろうし、ま、私にご不満とかないですよ。人生オワタ\(^o^)/だしね。
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