快晴なのだろうか薄曇りなのだろうか

 ぼんやり朝の空を眺める。
 昨日のビールがわずかに脳に残っている感もあるが、体調の問題か、ビールの微妙な問題だろうか。私はどうも少量でもかなり微妙にアルコールに反応しているのかもしれない。そういう点で見ると、最近ちょっと飲み出したエビスビールの緑缶が一番雑音というか雑味がない。これはもしかして、一番身体によいビールなのだろうか。
 ニュースなどを見る前になにげにぶくまを見て、奇妙な感じがして、↓のエントリを書いた。総じてはてなユーザーとの新しい乖離感がある。
 そういえば。
 多くのブロガーがエントリ書いても読まれてないなと思っているし、通じないなとも思っている。そして、たぶん、書くという行為はそれなりの地獄だし、生活のつらさの炙り出しとまではいかないにせよ、生きている意識を少し強く反照させる。
 文才が多少あれば、そして少しブログに慣れれば、多少センセーショナルなレトリックは可能だしそれで人の注目みたいのは得られる。
 あるいは、自分が何かを主張している人間であるかのような自己幻想は、得やすいものだ。だが、たいていの場合、人の主張というのはテンプレだし、党派性に陥るか、なにかしら誤った恋愛の情念のようなものに落ち込む。
 そういえば、これをざっと読んだ。

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淳之介流―やわらかい約束: 村松 友視
 村松友視が編集者だったことは知っていたが、吉行淳之介のそれだとは知らなかった。
 奇妙な本とまではいえない、ある種、編集者っぽい抑制感はある。そして、吉行という人のある本質をよく描いてもいる。だが、この隔靴掻痒な感じはなんなのだろう。
 ネットで読んだ人を探すと少ないが
 ⇒『淳之介流 やわらかい約束』 村松友視 - あっこ&たーぼうの読書三昧 - 楽天ブログ(Blog)
 この人はよく読んでいるなと思った。「大塚英子」に触れない吉行論というのはそれはそれでありとして何か奇妙な感じはする。まあ、まったく触れてないわけでもないのだが。
 吉行については多くの人が語り、そして現代では実際にはかなり忘れさられた。
 私は吉行という人と似た感覚世界を持っているのでよくわかる面がある。ただ、彼のように女を基軸として人生を歩むことはなかった。私がそれだけ、女性からの見ての魅力に乏しいというのもあるだろうが、私は、私なりに、結果として倫理的に生きてきた。この倫理的というのが、ネガコメさんとかに力量が有れば、藁と言われるところかもしれない。いや私を担当する悪魔はお前さんのどこが倫理的かとつぶやくだろう。お前は女を泣かせることもできなかったのに、実は泣かせていかもしれないと怯える、そんな小さな小玉のどこが倫理的なのか、と。お前さんのお好きなイエス・キリストは女なんか知ってないよと悪魔はささやく。私はじっと悪魔の、悪魔たちの声を聞く。