私にとってダブスタはけっこう自然な状態

 まあ、ダブスタにもよるけど。
 昨日、仏教のトンデモ話をちらと書いてしまったけど、ご安心あれ、あれはトンデモだと自分でもわかっている。じゃ、それを却下しているかというと、ご懸念ごもっとも、実はこつこつと疑念を蓄積している。
 単純にいうと、私は、いわゆるアカデミックな見解や社会の常識的な見解もそれなりに理解しているし、市民としてはその圏内から越えない。でも、それとは別に、けっこうトンデモない仮説をそのまま保全して却下しない。
 知のダブスタ的状態。
 昔からそうかな。まあ、若いときは裏面を表現したことはないし、言っても無駄だと思ったし。
 ちょっとパーソナルな話だけど。
 私は子どもの頃から世界というか他者の世界は、恐い、変なところ、なので、それとつきあって生きていくためにそれをできるだけ客観的にモデル化して理解して実践した。でも、内面の感覚はまるで違ったまま。なので、人生そのものがもうダブスタ
 解決しようと思わない。
 水からの伝言とか……そんなの信じないでしょと問われれば信じるわけねーじゃんと答える。それ以外になにか?
 で、水が私に伝えている何かを実はこっそり毎日聞いて生きている。日記とかにちょこっと書くから気違いっぽく見られるけど。あはは。