たぶん、キリスト教の神は罰しない

 ⇒明日また生きるぞ - あるシスターの死

問題があるならば神がしかるべき罰を下してくださるだろう。

 これは議論し出すといろいろ微妙なんだが。
 懲らしめるかに見えるような話はある。
 滅ぼす話はある。
 罰は罪の、なんというか、納期みたいなスキームでも読まれうる。日本語の「罰」の語感と違うのかもしれない。
 で、では、その罪クーポン券による正当はリターンである罰があるかというと、どうもキリスト教(新約)では、そこがちゃらになっているっぽい。うひゃぁ、まるもうけじゃん、グッドグッド、いい話じゃん、というのが、けっこうべたに福音という言葉の原義くさい。ただ、こういう言い方をするとなんだが。
 なんか、今日も宗教っぽい話になりそうなので、おしまい。