関連の余談

 最近はあまり聞かれなくなったが、チベット仏教の原型に関連して。
 ⇒ボン教 - Wikipedia
 英語版は詳しい⇒Bon - Wikipedia, the free encyclopedia
 チベット仏教の歴史はモンゴルに関係し、モンゴルの歴史は、まずケレイトのオン・ハンの奇妙な問題が関係している。
 ⇒オン・ハン - Wikipedia

オン・ハン(Ong Khan, Ong Qan, ? - 1203年)は、モンゴル高原中央部の遊牧民集団ケレイト部最後のハン。本名はトグリル(Toγril)あるいはトオリル(To'oril)。称号は王。漢語資料の表記では王汗、ペルシア語資料の表記では اونك خان Ūnk Khān と綴られる。

この時、イェスゲイの死後、その遺児テムジン(のちのチンギス・ハーン)がキヤト氏族内部で勢力を持つようになっていた時期で、テムジンは逃亡中のトオリルに援助を申し出て、あわせて義父子の関係を結び、エルケ・カラ討伐に協力してトオリルの復位を手助けした。

オン・ハンはハンガイ山脈を越えて同盟するナイマンのタヤン・ハンを頼ろうとしたが、国境でナイマンの守備隊によって殺害された。西夏に逃げたイルカ・セングンも青海でチベット人に襲われて命を落とし、モンゴル帝国以前の高原最大の勢力であったケレイトは滅亡した。
 
15世紀以降、オイラト部族連合の一翼として活躍したトルグート部の首長はオン・ハンの後裔を称している。

 ⇒ケレイト - Wikipedia

発祥は定かではないが10世紀に契丹の遼が南に興るとこれに服属した。遼の下で東西交易に参加していたために西方からネストリウス派キリスト教が伝わり、1007年に部族をあげてネストリウス派に改宗したとされる。

11世紀から12世紀のケレイト王国の情報はネストリウス派キリスト教徒のネットワークを通じて西アジアにも伝わっていたことが明らかにされている。ここから、この頃ヨーロッパで流布されたキリスト教国家プレスター・ジョンの王国のモデルの一つであったと考えられている。

 ⇒クビライ - Wikipedia

クビライは、1215年にチンギス・ハーンの四男トルイの子として生まれた。母はケレイト部族出身のトルイの正夫人ソルカクタニ・ベキで、トルイがソルカクタニとの間に設けた4人の嫡子のうちの次男にあたり、兄に第4代ハーンとなったモンケ、弟にイルハン朝を開いたフレグ、クビライとハーン位を争ったアリクブケがいる。

 ソルカクタニ・ベキ、つまり、クビライの母はクリスチャン。
 モンゴル帝国の基礎にはけっこうキリスト教が浸透していた。交易システムの関係がもっとも強いのではないかと思うが。
 ⇒1240年〜1350年 モンゴル帝国皇帝との関係

1240年、チンギス・ハーンの孫にあたるゴダン・ハーンは、チベットに遠征隊を派遣し、チベットの指導的高僧サキャ・パンディタ・クンガ・ギェルツェン(1182〜1251)をみずからの幕舎に招いた。チベット・モンゴル間の関係が、これによって開かれることになった。同時にこれが、「寺と壇家の関係」(チュ・ユン)の始まりとなる。
 
世祖フビライ・ハーンは、ゴダン・ハーンの路線を受け継いでチベット仏教を受け入れ、サキャ・パンディタの甥ヂョゴン・チョゲ・パスパ(パクパともいう)を養育し、これを導師として仰いだ。このチュ・ユンの関係をもとに、フビライ・ハーンは仏教を国教となし、パスパは仏教界の最高権威となる。1254年、フビライ・ハーンは謝意にかえてパスパにいくつかの称号を授与し、チベット全土に及ぶ政治権威を与えた。

 母がクリスチャンだったクビライが仏教を国教化したのだが……これがモンゴルとチベット仏教の関係の基礎であはるが……。
 ⇒クビライ - Wikipedia

また、クビライはチベット仏教の僧パクパ(パスパ)を国師として仏教を管理させ、モンゴル語を表記する文字としてチベット文字をもとにパスパ文字を制定させるなど、モンゴル独自の文化政策を進めた。中国王朝の伝統的なイデオロギーである儒教は特別に重視はされず、科挙の復活もクビライのもとでは行われなかった。

 仏教を国教化というより管理した。
 ついでに。
 このパスパだが。
 ⇒パスパ文字 - Wikipedia

ガリ・レッドヤードなどによるハングルの元になったとの学説が存在する。

 とやや控えめだが。
 ⇒Phagspa script - Wikipedia, the free encyclopedia

Scholars such as Gari Ledyard believe that in the meantime it was one of the sources for the Korean Hangul alphabet.

 これは図で見ると、それ以外ちと考えづらい。
 ⇒Image:Phagspa-Hangul comparison.png - Wikipedia, the free encyclopedia
Comparison between characters of the Phagspa script and the Korean Hangul script
 ⇒Gari Ledyard - Wikipedia, the free encyclopedia
 まあ、ハングルは、モンゴルの依頼でチベット僧が作ったもの、というは、納得しやすいのだけど、これをいうといろいろまたあるのでしょう。