朝日社説 来年度予算―歳出削減を緩めるな

 大筋で違うと思う。
 このところ意図的に世間を回って見るのだが、微妙に物やサービスが高い。つまり、ある生活水準のビジョンをなんとなく受け入れると出費が増大する。ところが、それに対する安価な代替も用意されている。つまり、従来中流と思っていた層のなかに定収入の世帯と、負担の多いまたは不定期収入の世帯で分離が起きているのだろうと思う。そしてこの分離が格差のように見えるが、これは単なる階層分化でしかなく、大筋で、下層を切り捨てていく方向に消費活動が進んでいる。
 でだ、もうちょっとあえて言う。公共サービスが民間サービスを覆っている部分によって格差が覆われている感じがする。単純なところでいえば、無料貸本屋である公共図書館だ。つまり、これは下層の保護でもあるし、その保護の対象は、どうも潜在的な左翼市場っぽい。ただ、これは公明党共産党の市場でもある。このマスが大きくなることで、実はこの勢力が利する傾向にある。どうも、これらの政党指導者は実質的にそれを読んでいるのではないか。
 案外、今の日本の課題は、消費をきちんと回すことで、より確固たる中流(ただし先進国からは下層だけど)のマスを作ることだろう。当然これらは旧政党の枠には入らない。
 ちなみに朝日はこの確固たる中流のなかのちょっと上にある知識人左翼と公共サービスあたりの層で食っている。この層は今後団塊の富裕によって裏打ちされるので、意外と安泰かもしれない。ただ、若者の怨嗟は大きくなるだろう。その構造を朝日はわかっていない。そしてそれゆえにどんどん被害者的な視点になっていくだろうし、実質、つまり議論として追い込まれるだろう。つまり、矛盾だらけの面白い新聞になってしまうだろう。
 
追記
 ちょっと補足。読み直して、ちょっと違うかと思ったので。
 つまり、旧中流が、新中流と下層に分かれるというより、いわゆる昭和的なファミリー世帯の維持をするにはその負担分で公務員でないかぎり、自然的に下層的な消費に押し込まれる。
 これに対して、そういうファミリー志向でない、べたにいうとパラサイト、とか、未来なんかどうでもいいや系の人々の消費、が多分に新中流的に見える、ということかも。