Googleは「面白い」という情報の連鎖にはまだ対応していない感じがする

 だからぶくまのようなしかけが必要だし、それがGoogleにフューエルとなってはいるのだろうけど。
 これに対して、従来、トレンド・キーワード的な分析が多いのだが、コーパスをベタに形態素解析から繋げてしまうっていう、阿呆な理系の典型的な手法を取っている。
 こんなものの最初にテンプレというか、情報発信の偏りの枠を嵌めてしまったほうがいいのに。
 むかーしの浅田彰クラインの壺的なモデルでいうと、情報発信者のコアの部分、日本でいうとアルファーブロガーってか?2ちゃん?まあ、そんなコア性からのブランチ的な情報の序列的なものがあるとする(ちとこれは後で再考する)。するとそのブランチの階層的なパワー・オブ・テンみたいな広がりの裾野で実は、「面白い」が発生し、それがなんらかの経緯でコアの側に循環される。
 その循環の仕組みが、まだはっきり見えてこない。基本的には、アルファーブロガーとかの感性に依存しているようでもある。
 と。
 ところで、昨今バッシングネタのアルファーブロガーなのだが、情報発信のコアとしては日本の場合あまり機能していない。っていうか、そのあたり、いくつかれいのクロ現契機で湧いてきたアルファーブロガー叩きなんだが、どうも失当が多い。
 日本の場合、アルファーブロガーがカリスマ的な威力をもっているのではなく、見えない奇妙な連携性にあるのですよ。信頼性というか。いや信頼じゃないな。ただ、この連携みたいのが非常に見えづらい。
 ちょっと刺激的な言い方をするのでネガコメ旅団さんご招待になるかもだけだけど、たとえばべたなお左翼のきっこの日記だけど(最近見てないんどえ変わっているかも)、彼女はそのネット上のパワーにおいてまさにアルファーブロガー以外の何者でもないのでしょうが、その連携のアルファーブロガー的なものはない。これは構造的に彼女の主張がテンプレ化していて連携がいわばスターリニズムのようになっている。あるいはファンというか(というか古くさい)。なので、一将功成りて万骨枯るが構造的に仕組まれているし、そうした一将功成るような構造として支持者が機能する美しい一党支配的な情報性でできている。異論が実は許されないし、異論のバリエーションが想定できない。
 ところが、事実上、現状のアルファーブロガーにはあまり意見の協調性はない。微妙にDISりメッセージが入っていたりして、仲悪ぃんじゃなねーの、ネガコメをツッこんでもめさせようじぇみたいな感じだが、が、どうも奇妙な連携性はあるというか、これは結果論なのかもしれないけど、そういう連携性が残るようなマスの対応が結果としてのアルファーブロガーなのだろう。このあたりは切れる人や専門家がけしてアルファーブロガーにならない構造と関係している。微妙に大衆的なメディアなのだ。
 ただ、これは現状のブログの規模というかマスの問題が大きいので、これ以上の市場になると、昔アルファーブロガーっていうのがあったよね、となる可能性は高い。そのあたりの未来は見えない。