何か面白いことないかなタスクを減らすとネットの負荷は減る
ように思う。
これが面白いというのが端緒の場合でネットを探索的に見ている場合と、何か面白いことないかなでネットを探索的に見ている場合とでは、タスクの、脳に対するというのか、負荷が違う。
基本的に、「何か面白いことないかな」のメタ制御というのがネットを見るコツなのではないか。
というのは、閲覧者の「何か面白いことないかな」というのも事実上テンプレというか、パラダイムが腐っている状況なんで、その状況の打開が実は求められているのに、それに対して効率的な対策を取っているわけではない。
むしろ、茂木っちの言うところの偶有性を待って、そこから、アクティブに見つめつつ、関心のフレームワークを変化させていくほうがよいように思う。
で。
その空き時間を、基本的な情報に当てる。基本的というのは、フィルターされた一時情報。そのあたりのべたなテクニックが現状のネット情報の遊泳法かな。
でもま、そう難しいこと言っているわけではなく、特定分野、たとえば、はてなだとWebデザインなど、特定性においてそう機能している。問題は、というか問題とすればだが、そこに関心の偏りがあり、他の関心の集団がまだテンプレ的な行動しかできないことかもしれない。
っていうか、そこがマーケットというものか。
アマゾンのキッチンとかいうと、すげー、料理オナな若い主婦がごっそりつまっていそうで、微妙なコミュニケーションのやりとりをしている。でも、はてな的な世界から見えてこない。どうしたら見てくるのかというのが方法論的にない。彼女たちには普通にそのなかにいるのに。
こうしたことが、育児や教育において、実際に関わる人の連携・情報交換、というかたちで出てくればいいのだが、それもだめ。北沢かえる(id:kaerudayo)さんのような現れ方になってしまう(非難ではなく様式)。すると、それはやはり通じない。