ちょっこし、仏教の根幹について、「縁起説」はたぶん間違い
まあ、キリスト教ほど仏教には異端概念がなく、「外道」くらいなもので、これをいうと、外道とされるのだろうけど、私は、いわゆる仏教の「縁起説」は間違いだと思っている。別の言い方をすると、仏教は縁起説を否定しているはずと理解している。
もちろん、そんなことをいえば、たーんと、おめーバカじゃねーという経典群が引用されるのは、わかっている。わかって言うのだ、それ、全部、仏教として間違いじゃないの?
仏教の認識において、なにも、生起するものはない。時間は存在しない。縁もなければ起もない。縁起説は諸存在の実在生を否定するが故に空とかいうけど、縁起説には、こっそり構成要素としてのアトムや時間が存在している。それすら、ない。
っていうか、これだけ読まれた般若心経に、縁起の否定がズバと書いてあるのに、なぜ仏教徒と称する人々は、奇妙な解釈をつけて諸経典を整合しようとして複雑な体系を志向するのだろう?
般若心経の説くように、仏教に、縁起はない、そのシンプルな原理から考えればいいのに。
原因と結果を分ける時間は存在しない。その時間は阿頼耶識として識される。が、それが無明。それがまちがいだ、というのだ。時間は存在しない。縁起があるわけがない。
ま、以上は、外道、っつうことでいいですが。