なんちゃら

 人間というのは自然状態でどの程度生きるようにできているのかよくわからない(寿命というかね)。おそらく種としての生存戦略が遺伝子的に埋め込まれているだろうから、その配分によっては短命に仕組まれてしまった個体もあるのだろうと思う。人間は本能が壊れた種、という考えもあるが、どうもそうでもないなと思える。
 geneがselfishであるとしてもそれは種レベルであって、個体のgeneがselfishであるということではないだろう。まあ、そう思う。
 実際には、成体がどういう性行動を起こすかということで、種レベルのgeneの生存戦略があるのだろうし、まあ、まさにそこで性行動が問われるわけだが。
 が、というのは、ネオテニー仮説などを採らなくても現実として、子の育成が長期であり非常な負担になっていることに、雄が巻き込まれるようになっていて、さらにそれが性行動にフィードバックするように、人間種はできているのだろう。まあ、皇帝ペンギンなんかと似てるかも。
 というあたりで、異性間の愛情というのも人間種の生存選択に対して経済学的な合理性を持っているのだろう。
 と、すれば、個体の性行動のなかにもそれが反映しているはずで、そのあたりは、なんつうか、成体としてあるレベルの性行動をこなしていなければならないのだが、皮肉にも多数の個体のシャッフル的な性行動にはたぶん正規化されない。
 なんか日本語じゃなくなりつつあるが、ようするにモテ男は上位レベルの性機能が開花できないようになるトラップが種のなかにしくまれているんじゃないか。というか、人間種の雌にはなにかそういう雄の上位の性行動をトリガーする心理戦略が埋め込まれているのだろう。
 ただ、このあたりが実によくわからない。べたにそうだとするなら、いわゆる一夫一婦制的な安定したメイティングにおいて充足した性行動があるとも言えるのだが、ざっくり世間を見回してもそうでもない。ただ、そのあたりがよく見えない。多数においては、ブスとブ男がおセックスするような合理性かもしれない。
 たぶん、種の生存選択の経済学的な合理性というのがプライマリーな原理ではなく、より強いgene獲得の合理性と拮抗するのだろう。ちょっと話がごちゃごちゃしてしまったが、それがなんとなく、selfish geneに見えるのだろう。ただ、見えるだけではないか。
 というあたりで、個体がどのように強い特性を示すかというのが、性のトリガーになるようにできているだろうが、それだけでもない。
 ただ、その拮抗みたいのは、生殖期+子の育成の時期を終えれば、終了なんだろう。
 いずれにせよ、私なんぞは人間種的には終わりなのか、あるいは、そういう種の使命(終わってねーだろ)が意識の基底的なドライブになっていて安定しないのか。まあ、いずれフェードアウトだろうな、個体として。