たとえば

 こだわっているみたいだが、まあ、もうちょっと語ってみるか。
 きっかけ⇒知性なき「はてな」−本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)

まともにものを考えようとする人間がしなければならないこと。
 
それは愚劣なものを愚劣と呼び、美しいものを美しいと呼ぶことである。さもしく卑しいシステムが育む知性無きコミュニティを、嘲笑も、あざけりも、傲慢さもなく、ただ愚劣であると呼ぶことである。たとえそれが愚かきわまりないブロゴスフィアであろうとも同じことであり、文盲とフェミニストfinalventがのさばるこの世界、つまり「バカ」や「(笑)」という幼稚でつまらない単語を使わねばバカにされていることすら気がつかない人々で構成されるブロゴスフィアにおいても、知的であるということは困難であるが、やはり必要なことでなのである。

 finalventがのさばっていないのは、このブクマ数を見てごらん。
 これ⇒はてなブックマーク - 極東ブログ: [書評]その夜の終りに(三枝和子)
 そして元のこのエントリ⇒極東ブログ: [書評]その夜の終りに(三枝和子)
 読まれていないよ。
 これが読まれたら、のさばっていると言われてもいいな。
 このエントリはあえて閾を高くして書いたし、防御も張って書いたが、物を読むことができる人間なら読めるように書いた。私の万感の思いも込めておいた……最後の思い……finalvent
 しかし、ブロゴスフィアでは読まれない。
 そんなものだ。
 ちょっとかわいげでいうと、noon75さんでも読めないでしょう。
 読めない理由を偉そうに付ける人もいるでしょう。
 finalventの文章なんか読めたもんじゃないとか、ほざけよ。
 少し放言でいうと、このエントリが読めないやつや読めないで表層を騒ぐやつらを私は、ばーかばーかとこっそり思う、いや、そう思わない。
 私は、いつかこのエントリを読んでくれる人を信じているからだ。
 そして⇒極東ブログ: [書評]海辺の生と死(島尾ミホ)
 私の糞エントリなんか消えてしまってもいいと思えるくらいは謙虚に生きている。それでも、これらの本に封印された歴史の思いを、大切に思う私がここにいたのだとちょっと声を出しておきたい。
 そして、謙虚に願い、その該当の書物を読む人が、たった一人でもいい、未来の日本に現れることを信じている。
 そしてその人に、私がもらったつらさをあげることになる。歴史存在であることの苦しみと孤独。
 誰かもらってくれるかな。だめかな。だめだろうな。
 そして私は、ハハハと笑う。私は私の個人的なことで泣けばいいのであって、こうした巨大な悲しみに泣くだけの力がない。だから空疎に笑う。神があればそのお恵みとして、ハハハ、と。
 「その夜の終りに」で、娼婦に墜ちた染丸と、彼女が慕っていた士官の蔵前。蔵前は戦後20年後のある日、こう顧みる。

 蔵前の意識のなかで、戦争は自然に消えていたと言ってよかった。嫌な思い出として遠ざけているうちに完全に消えてしまった。そして事実、蔵前は現在、戦争のことなど、何一つ考えなくとも生きている境遇にいた。癒えない傷病を負ったわけでもなく、家族に戦死者や被災者がいるわけでもなかった。
 蔵前に戦争の問題を突きつけたのは、染丸の出現だった。二年前の出会いのときでない。あのときの染丸は生き生きしていて、むしろ戦時中を懐かしんでいた。戦友会に出席すれば、恐らくこのような話を聞かされたに違いないと、辟易する一面もあった。衝撃を受けたのは、数日前、二度目に会ったときである。
 染丸は、進駐軍とのあいだに生まれた子を棄てたことに怯えていた。間もなく脳梅毒が進行するのではないかという不安に苛まされていた。そしてその怯えと不安を、昔、海軍省の士官用慰安婦だったという事実を誇ることによって乗り切ろうとしていた。
 蔵前は自分が復員軍人でありながら、染丸ほどには戦争の傷を受けていないことに気付かされたのである。確かに引揚船に乗るまでは大変だったが、帰ると大学に復学。卒業し、父の仕事を継ぎ、結婚し、二人の子を儲け、大過なく今日まで来ている。あの戦争は悪夢だった、と言って過ごすことができる境遇である。
 蔵前は染丸に、進駐軍のオンリイになったことを打ち明けられて動揺した。
 いや、動揺というよりも、それは一種の腹立ちに近い感情だった。生活のためであることも分かっている。染丸たち元慰安婦が、その筋の命令でかき集められて進駐軍用に廻されたことも、事情は疎いけれども、何となく分かっていた。しかし、オンリイになり、子供まで生んだことは、許し難い。しかし、もしこれが、日本人の男を、たとえば捨さんのような人を好きになり一緒になったと聞いても、喜びこそすれ、決してこんなふうな気持ちにはならなかっただろう。染丸の手紙の文面には、蔵前に「深く深く」詫びながらも、どことなくアメリカ兵を許しているというか、懐かしく思っている雰囲気があって、その染丸の気持ちに、激しく反発していたのだった。
 この腹立ちの感情に蔵前はこだわった。自分の気持ちが、自分でもよくわからなかった。
 ――こんな形で、おれの民族意識が残存していたのか。
 蔵前はそれを、汚いもののようにピンセットの端でつまんで、暗闇の塵芥捨てにでも捨てたいと思った。しかし、それは蔵前の意識のなかで、ピンセットでつまめるようにはっきりとした形をとって来なかった。蔵前は、いらいらした。

 私にとって日本人である民族意識とは、そういうものだ。誇りでもなんでもない。
 そんなものなければいいのにと思う。そんな歴史を私に日本人だからといって背負わせないでくれと思う。泣きたいほどそう思ってきた。でも、私はこの蔵前と同じ気持ちでいる。
 ピンセットでつまんで捨てたいと思ったと、しかし、捨てることができない。
 それが私が日本人だということだ。
 その「汚いもののよう」なものを捨てた人間や、巧妙な意識のトリックを自身にかけて自己正当化している人間に、私はなることができない。(それと、そのトリックをわかりやすく暴露して釣る趣味もないよ。)