よく釣れているので首尾よろしなんだが

 ぶくま⇒はてなブックマーク - 知性なき「はてな」−本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)
 もと⇒知性なき「はてな」−本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)
 finalvent言及があるのでちょっとご挨拶がてらというか、こういうと誤解されるかもしれないけど、このエントリについてはきちんとスルーでいいのだと思うのだけど、noon75さんのことが私なりにちょっと気掛かりなところがあるので(とかいうと欺瞞とか偽善に見えちゃうのだろうけど)ちょっとだけ。
 梅っちもnaoyaも、jkondoも理系の人ですよ。
 はてな非モテとかフェミ的なもの基本的に理系の人の議論ですよ。
 はてなというのは、そういう理系なものが語り出した不思議な空間ですよ。
 いわゆる左翼的なものとか教養主義的なものは、ぷわーんと浮いている。
 私なんかもそろそろ浮きそうというかすでに浮いているというか。
 その浮き加減がいわゆる文系的な人間からは、ばーかばーかに見えるだけですよ。
 ただ、ごりごりの理系ではないし、ばーかばーかではないですよ。(まじでHaskellとか関心もっているし、ありえないんだけど。)
 あるナイーブさというものがある。このナイーブさのなかに世代と日本を創出、って別に日本でなくてもいいけど、未来を作っていくなにかを、すごく目を瞑っても見たいと思う人々もいるというか。個の人生で見ると、その終わりが見えてくるとき、どうやって世界に自分の気持ちを伝えようかというある種の無私がある。ま、ナイーブすぎるわけで。ちょっと南無さんに迷惑かけちまうが、南無さんがnoon75やfinalventを見る目は梅っちがnayoyaを見る目とパラなもんですよ。
 (余談だけど同質のナイーブさがかつての左翼の特にソ連科学とかラッセルやポーリングのシンパだった。)
 もうちょっとつっこむと、noon75さんはアジアやアメリカに逃げられる。日本は原点において相対化されていてる。その強みが強みのままでいたら、歳は取れないし、逃げかなと思う……いや逃げかどうかまではいえない。ただ、凡人というのは国家の幻想から逃げられない。それはいわゆる左翼がいう国家幻想とかそういうものじゃないので、うまく伝えられないけど。まあ、はてなが日本独自っていうのがそれに近い。
 ついでに⇒梅田望夫を信じるな。梅田望夫を疑え。梅田望夫を罵れ。梅田望夫の荒を探し全身全霊を持って叩け。[その他] : 真性引き篭もり/entry
 まあ、「なんとかを信じるな」というのは自身のカリスマを前提にしているので、元気でよろしの部類だが、団塊世代に近くその荒涼たるものを見てきた私は文化大革命マンセー紅衛兵なトーンが感じられて寒い。
 ⇒紅衛兵ドチェック
 話がそれるが。
 たとえばオウム問題、そのネットの残照などを見ても、歴史が忘れられている。
 昨日小室直樹の関連でこれをちょっと紹介した。
 ⇒「 危機の構造―日本社会崩壊のモデル: 本: 小室 直樹」
 プレミアついている古書を若い貧しい人に勧めるのは気が引けるが、この本は、当時の左翼ゲリラの反国家性についても触れている。そしてその延長にオウムがあるのは、これとか連想させる。
 ⇒finalventの日記 - 「大地の牙」
 大地の牙の先にオウムがあり、その先に……という、無意識の連鎖、まるで日本の歴史の亡霊のようなものがある。
 もちろん、個別の問題というのもある。つまり、問題を日本史の構造といった抽象的なものに帰着してはいけないというのもある。
 しかし、ひとつの民族国家の歴史のなかに埋め込まれその生涯の終わりが見えるころには、自分を含んだ歴史というものが見え始めるし、その見えるということは責務であるし、その責務とは若い人との関わり以外はない。
 その関わりを自分なりの善意でトチ狂っていだしたらそれも老いの部類だがこの皮肉を伝えたい人には聞こえないだろう。まあ、歳を取ったら陰口でばーかばーかとかクローズに言い合ってくたばるのがよいのだ。無害でよろし。それも老いた者の消え方だからだ。
 ただ、老いて一番の魅惑はまさにその若い人の関わりなのだろうという毒は持つべきだが、というのは、それに免れて希望だけを持つ人間はもっと強い毒が回って消えることになる。結局は同じであれ。
 まあ、こんなこと書いて反感持たれているなら私もまだまだよい部類だ。俺も舐められたもんだなと肩を落として微笑むことはよい。