ちょっと釣られる

 ⇒FPN-「プロ記者の勝手発言規制」、「ブロガーの無言」、放送法改正への賛否の意味

 通常国会で審議予定の放送法の改正では捏造問題に関する部分に関して放送業界が「言論と表現の自由を損ねる」大反対しています。一方、暗にその存在意義が問われているはずのブロガーさんの多くは「無言」です。

 あーあーあー、マイク入っているぅ、私は無言です、以上。
 だめ?
 なんか言え?
 ええとですね。問題は?

 放送法改正の改正内容ですが、2007年4月4日付けの日本経済新聞の報道を捏造部分に限って要約すれば以下のようになります。
 
★ 放送法改正の中で捏造のあった放送局に政府が再発防止の計画提出を義務付ける「処分規定」を盛り込む。
★ 大型連休の前後から国会審議が始まる。
 
それに対して第三者機関として監督機能を担う「放送倫理・番組向上機構BPO)」の新理事長が「政府の介入は報道の自由言論の自由に対する大いなるプレッシャーだ」として反対を表明しました。また、民法とNHKは3月上旬、捏造が発覚した放送局への調査権をBPOに与え、改善を勧告できる再発防止策を打ち出しています。つまり政府の介入を突っぱね、放送業界の自主規制で対処すると言っている訳ですね。
 
放送倫理・番組向上機構BPO)とはNHK民放連から理事が選出されますので放送業界団体の利害代表機関であることは明らかです。

 テレビとか、つまり、電波というのは、限定されたリソースなんで、それゆえの公共性がある、と。なので、嘘こくなという公共性との問題、なのでは?
 これに対して、わてら糞ブログには、リソースの限定性はないのでは、というか、言論の自由、とかと、違う問題でなくなくない?

その場合、一般的にはヘッドの部分をプロが担当し、ロングテールの部分をアマチュアが担当することになるのでしょう。しかし当然、ブログが1万アクセス以上あるブロガーの一部は、ヘッド部分の影響力を持つでしょう。その結果、プロの世界にも競争原理が入ってきます。そうなれば市場競争原理により番組捏造の温床も次第に消えて行くと考えられます。CGM(消費者作成の番組)により、デジタル化が進む中、一部のテレビ番組を作る時代が近いですよね。

 ようするに限定リソースのテレビ電波、っつうことでは?
 あと。
 言論の自由というのは、まあ、誤訳で、プレスの自由、ですよね、つまり、報道の自由。そしてこれがプレスと印刷媒体を想定しているわけで、時代的に。
 で、そういう点では印刷媒体への規制が今なんかあるのか?と考えると、対政府の問題よりマーケットとか流通の問題であり、カネの循環の問題なわけですよ。
 マーケットとか流通という点でブログは、へへへ、楽、とかいうことだけど、カネは循環しない。どんなによいエントリがあっても、カネにはならない。
 で、カネなんかなくてもよいものが書けるというのはあるので、それはそちらへどうぞだけど、たとえば、良質のブログを書いたら、食えるという状況を作っていくほうが、重要でないかげかしょうにか、と。
 まあ、毎度の話なので略というかもうちょっと丁寧に言うべきかもだけど、ああ、つまりテレビの公共性というのはリーチとかカネの問題でもあるわけなので、利権として扱うのはとても正当なのでは。
 わてらにはどうでもええけど、以上、ブロガーの一言でありました。
 
追記
 ⇒池田信夫 blog 日本のコンテンツ産業、衰退の真因

インフラ独占によって供給のボトルネックが生じているとき、供給側が決定権や価格支配力をもつのは、経済学の常識である。プロダクションの悲惨な現状の背景には、電波利権によるインフラ独占があるのだ。クリエイターが自立し、多様な番組の質的な競争が起こるために必要なのは、地上波局によるインフラ独占の打破だ。私が「競争が必要だ」といったのは、この意味である。